八、役職名
倭魂社、政諾社、笠勢司は社長、副社長と呼ぶのに対し、精華團、神勢團は理事長、副理事長と呼ぶ。昔、各社には社長、副社長、評議員(三、四名)とこの程度の組織だった。大正時代の精華團は理事長、副理事長、理事(外交、評議員)、顧問などの役職があった。統監は、大正十三年に政諾社と笠勢司の祭り青年が揉めて一カ月以上納まらず、それを未然に防ぐ為に大正十四年より設置された.会所、統監、交渉係などの名称は、磐田・見付天神のはだか祭りの役名とかなり似ている。
九、お囃子(笛、太鼓)
遠州・横須賀・三熊野神社の三社囃子を編曲し、現在にいたっている。幟会顧同・鈴木基司氏にお話をきいたところ、『屋台行動をするときのお囃子は各社それぞれ音色は達うがお囃子の名前としては、「出囃子」と「ばか囃子」の二曲しかなかったと思う。』神勢団はその後、「神勢囃子」と「春日囃子」を独自で作り、追加し四曲になっている。
政諾社は昭和五十八年に屋台を新築してから、女子連・お囃子屋台(広抜け屋台)で演奏していた「てんすく てんつく」と「籠まわし」を追加し、屋台の停車中に演奏している。
十、法被
法被は昭和に入るころから作られ、それまでは「おそろい」と呼ばれる浴衣を祭り青年、子供と全員同じ柄のものを着ていました。このおそろいは毎年柄をかえていました。
十一、神輿行列役割
一番:馬で先導(年番壱人・羽織袴で馬上、年番壱人・各羽織袴で手綱)。 二番:金棒 一人 羽織袴。 三番:露払い 二人 羽織袴。 四番:砂捲 二人 羽織袴。 五番:高張 二人 羽織袴。 六番:榊天狗 一人 黒装。 七番:額太鼓 二人 白鳥。 八番:前小榊 半数 裃。 九番:弓 四人 裃。 十番:矢 二人 裃。十一番:大鉾 二人 裃。 十二番:鉾 十人 裃。 十三番:大榊 一人 羽織袴。 十四番:賽銭箱 二人 白鳥。 十五番:神官 若干。 十六番:神輿 十二人 白鳥。 十七番:輿脇 六人 裃。 十八番:年番 二人 羽織袴。 十九番:神官 若干。 二十番:神供箱 二人 白鳥。 二十一番:後榊 半数 裃。 二十二番:年番 二人 羽織袴。 最後に区長、町長 以上
昭和三十七年まで先導の馬はいましたが、馬を借りるところがなくなったのと、借用経費もなかなか高くつき(馬の借料一日千円.紅白手綱各布二反、馬主に酒一升に日当を払った)馬鹿にならないのと、花火の音に馬が竦み、餌を食べず衰弱してしまうため廃止した。
十二、神輿のお供
御輿の行列には毎戸一人宛、裃を付けて家紋入りの提燈をさげ境内に参集し二列となって、神輿の渡行の供をして、上町の御仮屋までの行列は千人余り、その列は長々と町の通りを続いたものだった戦後はお供をする人も少なくなってしまった。昔は裃をつけ、頭の方は無帽の人が多かったが、中には山高帽、鳥打ち、かんかん帽子など不捐いで見苦しいということで、大正年中ごろより烏帽子をかぶるようになった。それまでは、烏帽子なぞかぶる人はいなかった。
十三、御仮屋
御仮屋とは通称で正式名は天満宮といい、菅原道真公を祀る神社の事で、天神社ともいう。その天満宮は昭和六十二年四月(一九八七年)に「壱百年祭」を神主をよび祝詞をあげ寄付も集め、提灯、幟も新調され盛大にお祭りが行われた。と言うことは、百年前に創建となる。仰仮屋は、明治二十年(一八八七年)に創建された?
十四、神主
硯在、春日神社の神主をしているのは石村清様ですが、石神清様のお爺様は神主ではなかった。石神清様のお父様の時から春日神社の神主職についてる。「笠井・郷土の俤」昭和七年発刊の中に、春日神社の神主は石神春江様と記載されている。旧神主・神谷とも書かれているので石神春江様の前は神谷様が神官職についていたものと思われる。
と、以上まで、資料よりかなり忠実に明治・大正峙代の事をまとめてみました。
平成二十二年五月二十三日 編集者 幟会・池田 大