| 1926 | 大正15 昭和1 | 笠勢司、屋台新築(棟梁・本町 高井喜代司)。8月19日、神勢團(しんせいだん)は笠勢司から独立。政諾社、屋台新築(棟梁掛塚 坂田歌吉、鳳凰 伊藤松治郎、鬼板 山下久一郎)人形を飾る(猿飛佐助、織田信長、忍術使い、今川義元、徳川武将/島田圭司さんの記憶)。12月25日大正天皇崩御。 |
| 1927 | 昭和2 | 神勢團は橋爪(旧万斛/まんごく)村より、屋台を借りて人形を飾り参加。8月御仮屋に「若倭神社の幕」を袴田清吉・袴田春吉が寄贈。高柳健次郎テレビジョン実験成功。 |
| 1928 | 昭和3 | 西町を住吉町と命名。雨のため樽(たる)御輿で行った。 神勢團は屋台建造(笠勢司から独立)。17、18日は雨のため、樽御輿で行った。 |
| 1929 | 昭和4 | 精華團は子供が揃いの浴衣で踊り、町内の羨望の的に。※お囃子(巾1間9尺、長さ2間、2寸角の柱、左右の弓張のように提灯を並べ提灯の下に造花を飾り、小太鼓3個をぶらさげて、歩きながら叩く、三味線2人、横笛2人鐘(ちんちろりん)1人、曲目は(ごろう、かごまわし)。神勢團、屋台の人形を中止。 春日神社 社務所改築(石神春江宮司)。2,426円の氏子の寄付金で建設。 世界大恐慌(ニューヨーク株大暴落)。 |
| 1930 | 昭和5 | 春日神社(若倭神社 相殿)の表石垣建設(寄付/加藤實次郎、加藤伊久蔵、加藤清七) 雷神社、鳥居建設(寄付/池田龍之助66歳、加藤弥太郎) 糸瓜500万本(海軍の甲板掃除用年20万本、皿敷、火鉢敷、スリッパ、湯殿敷、土瓶敷、肩流し)最盛期。
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| 1931 | 昭和6 | 笠井町祭典連合会発足(各社全員参加)。精華団は三福の芸者さん指導で「住吉踊り」など習う。町中の人気を集めた。神勢團は、子供に菓子配る、屋台の車巾狭く修繕。 満州事変 以後15年続く日中戦争で日本は軍国主義へ。 |
| 1932 | 昭和7 | 倭魂社と精華團は、屋台に人形を屋台に飾った。笠井では屋台が廻って来ると、ご祝儀を出す習慣があり若衆は朝まで屋台行動をしていた。 お囃子連は芸者さんの三味線に合わせ、浴衣に花笠をかぶり夕方から夜9時頃まで踊った(倭魂社の話)。写真は昭和8年の住吉お囃子連屋台。
5.15事件。国際連盟脱退。 |
| 1933 | 昭和8 | 12月29日皇太子奉祝は法被着用、靴禁止、提灯行列。 春日神社(若倭神社 相殿)の寶庫(ほうこ)建設。工事費894円10銭5厘。 笠井郵便局は洋館で新築(榎吉純局長) |
| 1934 | 昭和9 |  大鳥居6m「蛇籠(じゃかご)」を笠勢司が建立(以後22回、昭和32年まで)、倭魂社屋台。 |
| 1935 | 昭和10 |  写真は倭魂社が立てた吹き流しと倭魂社屋台。神勢団は太鼓新調。 |
| 1936 | 昭和11 | 精華團記録終了。神輿の渡御は30分早める。写真はこのころの飾り付け人形。 
若倭春日社の社格昇進願いを神主・石神春江が提出。静岡県遠江国浜名郡笠井町字若林 鎮座 村社式内 春日神社。 |
| 1937 | 昭和12 | 倭魂社、屋台新築。2月27日春日神社本殿玉垣を新築。花崗岩天竜丸石。工事費643円12銭 遠州織物生産額は過去最高に。7月日中全面戦争で綿花、綿糸統制。松菱百貨店開店。 |
| 1938 | 昭和13 | 7月23日春日神社(若倭神社 相殿)が郷社(ごうしゃ)に認定。以降、若倭神社禮大祭は、春日神社禮大祭で開催。 非常時で屋台行動は禁止。お神輿の渡御のみ行う17日雨、18日渡行、19日還行。国家総動員法(こっかそうどういんほう)公布。 |
| 1939 | 昭和14 | 国民徴用令(こくみんちょうようせい)公布。
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| 1940 | 昭和15 | 政諾社も、お囃子(はやし)連があった(鈴木憲談)。神勢團の記録では16、17、18日の余興、屋台お囃子連は氏子総代の許可が必要とある。(写真は倭魂社屋台) |
| 1941 | 昭和16 | 倭魂社の吹き流し、政諾社の幟、例年通り行う事、各社司團連合で奉納相撲大会を開催。神酒は一日2升と定め会所で飲むこと、屋台行動は中止。青年は神輿の渡御に参加。 太平洋戦争開戦する。ラジオ放送始まる。 |
| 1942 | 昭和17 | 倭魂社の吹き流し、政諾社の幟、境提灯は例年通り。大東亜戦争時局の重大時に付き置き屋台。日章旗と海軍旗神輿の腰脇に立てた。
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| 1943 | 昭和18 | 境提灯、吹き流し、幟は年通り、屋台行動中止、余興は随意。会所は例年通り。防空の報ある時は中止。 永世銀行が、静岡銀行笠井支店(石造りの建物)に。 |
| 1944 | 昭和19 | 樽御輿でおこなった。12月9日東南海地震。福来寺観音堂の西側に被害あり。12月23日浜松に空襲市内壊滅。
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| 1945 | 昭和20 | 小倉三夫さんは、お囃子連を曳いて数人で町を歩いたと証言。3月10日 東京大空襲10万人死亡。8月6日広島9日長崎原子爆弾。14日(無条件降伏・ポツダム宣言受託)8月15日終戦。祭典は中止。
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| 1946 | 昭和21 | お祭りは慰安祭として開催。東京音頭、瑞穂(みずほ)踊りで町内を一周。神勢団は祭典費を区費の20倍に。
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| | | 屋台行動のみ実施(写真、上は政諾社、下は神勢団)。本町蛇篭で大鳥居を飾る、中町マルス前と郵便局前に大幟、上町は五色の吹き流し、上町は御仮屋の夜警備を担当。春日神社は県社六等級に認定。学校が六・三制に。パン12円、牛乳15円、床屋子供10円、酒1升425円。1月10日だるま市開催。 
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| 1948 | 昭和23 | お神輿の渡御再開。政諾社 社長 中谷豊吉。屋台を青厓の絵画で飾る。写真は精華団、若連。
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| 1949 | 昭和24 | 露天商屋台が伊藤下駄屋から郵便局付近まで並んだ。福来寺に大吹き流し。倭魂社は山形屋の二階から投げ持ち。(写真は政諾社)お神輿の渡御実施。裃袴で各家1名お神輿の供に出た。お仮屋から福来寺まで長い行列に。ガチャマン景気の織物産業が笠井をリード。大相撲が福来寺で2回興行。 |
| 1950 | 昭和25 | 写真は倭魂社 |
| 1951 | 昭和26 | 倭魂社のお囃子連と花屋台。笠井町と豊西村が合併。合併記念に5月7、8、9日屋台行動。笠井商店会連盟で花火を200発天竜川で上げる。 |
| 1952 | 昭和27 | 16日は午後12時まで。屋台は17、18日、神勢団はやまや角、笠勢司は萬屋前、政諾社、精華團、倭魂社は丸保四辻前に並ぶ。舗装区間は午後21時まで。舗装区間の家に散水を依頼。(写真は政諾社)7月22日笠井街道は全面アスファルト舗装に。 |
| 1953 | 昭和28 | 春日神社周辺で17日夜に花火大会を始めた。年番は花火の寄附集める。 天竜川の大水で濁流(だくりゅう)のため大川で、清水払い。笠井中講堂落成。校歌できた。 |
| 1954 | 昭和29 | 3月31日 笠井町は、浜松市と合併。
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| 1955 | 昭和30 | 神勢團と精華團は屋台新築中で屋台行動は無し。お神輿渡御は夜9時出発。屋台行動は夜中の2時頃まで。 |
| 1956 | 昭和31 | 政諾社お囃子し連(犬塚儀明、松本芳郎、池川英雄若連2名、加音屋2名)は最後の年。 お神輿行列は、御神馬、金棒、露払、高張、砂蒔、太鼓、天狗、大鉾、小鉾、弓、矢方、大榊、銭箱、輿、輿脇、小鉾、御供物 神武景気が、高度経済成長推進。佐久間ダム完成 |
| 1957 | 昭和32 | 笠勢司の蛇篭は永島の今井喜代治が造る。8月16日午後3時から7時組み立て完成。費用は1万円。4~5年で造り変える。白布は52反、羽鳥屋クリーニングで洗う。しめ縄は白布で造る。丸太、杭打ち材木、竹棒は氏神倉庫へ、額は養円寺(ようえんじ)、縄は油屋倉庫へ収納した。神勢團 屋台、お囃子、手踊り。 |
| 1958 | 昭和33 | 精華團、福来寺の現在地に屋台小屋を新築。笠勢司は蛇籠の大鳥居を廃止。大幟(おおのぼり)を立てる事にした。幟の竿は阿多古山(あたごやま)へ田地川佐太郎、鈴木寅吉、川島光次郎が買いに行った。お囃子連中止(若連と子供が集まらなくなった)。 蛭子森(ひるこもり)古墳発見 秋葉ダム完成。 |
| 1959 | 昭和34 | 屋台は、倭魂社は観音前、精華団は丸保(まるほ)角、政諾社は中安(なかやす)医院前、笠勢司は静銀前、神勢團は やまや角に7時20分集合、御仮屋到着8時50分まで。下駄皮靴は駄目。前の屋台との間は綱先から15m。統監の接待はジュース。外交は綱先へ2名以上付く。 |
| 1960 | 昭和35 | 屋台は、倭魂社(福来寺前)精華團(丸保角)政諾社(中安医院前)笠勢司(静銀前)神勢團(島田工場前)19時30分。隊列を組んで御仮屋へ出発。神勢團は、鯉と山の屏風(びょうぶ)絵を屋台正面に飾った。 |
| 1961 | 昭和36 | ●年番(写真)前列左から、神)竹内歓次、門奈茂治/倭)秋山金吾/石神宮司/倭)鈴木清二郎/精)永田徳次、桑原勝/後列左から、笠)磯貝照治、鈴木ヨシジ/政)石牧、池田米治、犬塚義明、松下建具 |
| 1962 | 昭和37 | 最後にお神輿の先頭の馬に乗ったのは、門奈剛一さんと桑原勝さん(桑原談)。 |
| 1963 | 昭和38 | 神勢團は屋台を解体して修理。お囃子連は全町廃止。お神輿の先頭の馬を廃止した。 |
| 1964 | 昭和39 | 屋台行動は、16日は夜10時30分まで、17、18日は夜12時までと警察から通達。 東京オリンピック開催。新幹線開通。
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| 1967 | 昭和42 | 祭典日を土、日に変更してほしいと若連から要望あり。笠井中火事。
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| 1968 | 昭和43 | 祭典時間は17日18日 午後6時~10時まで。交通規制。 7月17日、笠井中が再度火事に(三度目)。東名高速道路、開通。 |
| 1969 | 昭和44 | 神勢團は8月14日屋台の綱が切れ、屋台を引いていた子供数名が足に怪我。8月16日屋台から子供が落ち全治2週間の怪我あり。4月 青和会(せいわかい)創立
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| 1970 | 昭和45 | 開催日を、8月14日(金)、15日(土)、16日(日)に改正。 屋台に保険(前年度、子供ケガ)。浜北大橋開通。大阪万博開催。6月池友が火事。 |
| 1971 | 昭和46 | 交通規制18時~21時まで。天狗を年番がやるようになる。家が増えて、花火はスターマインがメインに。 県立東高校が笠井新田に開校。 |
| 1972 | 昭和47 | 道路許可は17時~21時30分。写真は笠勢司の若連。沖縄日本復帰。 |
| 1973 | 昭和48 | 緊急車両が通過できるように、道路許可は東片側のみとされた。
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| 1974 | 昭和49 | 道路許可18時~21時30分。
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| 1975 | 昭和50 | 神勢團屋台小屋新築。
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| 1976 | 昭和51 | 8月16日雨、17日雨、綱の中で曳く。ビンをもって歩かない。腕章をつけて交通整理する。 11月 遠鉄ストア笠井店、開店。 |
| 1977 | 昭和52 | 祭典を話しあう会を開催。◎交通規制(19時から21時)お神輿出発を19時30分にする(若連要望)。◎法被を着用しない者は参加不可。一般のお供を増やすのに背広でも可とする。(総代)◎多くの氏子に神社に参拝してもらうために16日に花火大会をする案が出たが17日に神輿の渡御で客を呼ぶので従来の方が良いとの総代の意見があり、17日に花火大会をすることに決定。年番は架設電話を導入。花火の目録を改善。白丁を依頼するのに苦労した。◎年番同志は、接待など当番社が多忙すぎるので、協力しあうように要請したところ賛同を得た。(年番長池田充義) 倭魂社屋台新築計画。 |
| 1978 | 昭和53 | 倭魂社、屋台新築/一層唐破風檜造り(いっそうからはふひのきづくり)早川真匠 造。春日町の村木和見さんは、この年よりお神輿の供を令和4年現在もずっと続けている。道路許可、本通りは練り、踊り禁止。許可は午後6時から9時まで。
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| 1980 | 昭和55 | 春日社、屋台新築(一層唐破風桧造り)町内の手造り。
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| 1983 | 昭和58 | 政諾社屋台新築(一層唐破風総欅造り/小池工務店 小池清、彫刻 鈴木嘉一)。
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| 1984 | 昭和59 | 春日神社本殿参道の鹿像が復活。太平洋戦争中の1942年に発動された、金属類回収令により無くなっていた鹿の銅像が若林の有志により再建されました。5月吉日寄贈(寄付者:若林利夫、村木和見、鈴木与士夫、鈴木やすゑ、鈴木基司、鈴木政春、鈴木政治、鈴木 強、鈴木武次、鈴木修三、鈴木 清、鈴木喜代治、神谷茂三郎、石神 清)   
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| 1986 | 昭和61 | 笠井町ヨシヤ家具火事
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| 1987 | 昭和62 | 4月天満宮百年祀り寄付者39名 金362,000円。燈籠(とうろう)と幟を新調。
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