笠井まつりの歩み(詳細/総代、年番、統監、社長、副社長などの名前入り) 
2022年令和4年(※池田充義氏 調べ)

※記述には伝承・推測もあります。確認出来ている範囲での記述です。足りない部分や正しい情報をお持ちの方は検討訂正しますので、info@kasaiism.com/matsuri/ あて、ご連絡ください。

西暦和暦足跡(年齢は満年齢で記)令和2年現在で分かる範囲でのリサーチによる。
古来、この笠井地域周辺の氏神として若倭(わかやまと)神社はまつられていたと推測します。
1025萬寿2若倭(わかやまと)神社は、この年再建の棟札が現存。(延喜式神名帳 記)
1482文明14笠井春日神社は室町幕府 第9代将軍 足利義尚創建と伝わる。若倭神社は相殿として合祀される。
1570元亀1家康が岡崎城から引馬城へ入り浜松城と改名。家康29歳。
1577天正5笠井春日神社(若倭神社 相殿)が、倭下林(わかばやし)に創建される。「於:棟札」
1578天正6天正7年~天正9年、浜松城の改築で美濃から浜松城現場監督として榎吉家の先祖が浜松へ。笠井村に住む。
1597慶長2笠井新田 春日神社が創建。
1603

 

慶長8

江戸時代

江戸幕府はじまる。家康の命で天竜川の水運が盛んになり、天竜材が江戸へ運ばれる。これにより掛塚が栄え、神社が建立されたり江戸文化が入ってきた。祭り文化も広まっていく。掛塚の祭りは、神輿の渡御、氏子が屋台を曳き神輿のお供をしたと伝えられている。
1639寛永16笠井春日神社(若倭神社 相殿)が造営。「於:棟札」
1647正保4年代官 山下佐治兵衛が笠井村の大庄屋になる。
1648慶安1笠井の市での塩・海産物の販売を、塩町と肴町の商人に許可が下りる。それにより遠州の商人が集結、笠井の市は大きく飛躍。文化人も集まり、笠井に豪商が生まれる。
1697元禄10笠井上町 春日神社が再建。
1719

 

享保4

 

笠井村春日明神の神主は神谷三郎兵衛。豊雷(とよいかづち)神社 創建される。

笠井村 家112軒(内76軒本百姓、36軒水呑み百姓)於:国領組諸色覚帳

1758 宝暦8 笠井の市は、『六斎市』(五・十の市/毎月末尾に5と0が付く日)として、上組・中組・下組の三組で、順々に開くように取り決められた。(上組と下組に木戸があった)
1783 天明3 浅間山大噴火。天明の大飢饉。笠井村不作で天明6年 笠井村一揆起きる。
1787天明726代 山下佐治兵衛屋敷 全焼、笠井村は北から南まで残らず焼失。
1788天明8笠井村で一揆。
1789寛政1このころの笠井の産業は、藍栽培、木綿栽培、綿実油、綿糸を産出、綿布を織る。
1808 文化5 大火で中組から下組へ50軒、笠井焼失。
1814 文化11 大干ばつ、大洪水、水疱瘡の大流行。
1820 文政3 笠井の市で綿縞織物の取引が始まる。
1840 天保11 下組で火事。
1853 嘉永6 二俣で花火、船屋台、素人芝居の記録あり。
1861 文久頃 森町で二輪屋台の記録あり。
1868明治1笠井村では、山下佐治兵衛の庄屋屋敷が乱暴人600人に襲撃され家屋全焼。
1869 明治2 版籍奉還(はんせきほうかん)。笠井織物の生産始まる。
1871 明治4 明治新政府により、11月15日浜松県 発足。苗字をつけ戸籍をつける。徴兵制、裁判所、警察署。断髪令など新設制定。
1872 明治5笠井の市は、上組には(太物、古着、紙類、足袋、荒物、桶屋、傘屋、鍋屋、金物、蝋燭、豆腐、蕎麦屋、菓子屋、魚屋、青物、小間物、理髪、大工、塗り物、質屋、旅籠、居酒屋、米屋、医者、下駄屋など)の店が並ぶ。中組と下組にも同様のお店がそれぞれあった。学制実施。
1873 明治6 笠井郵便取扱所 開所(榎吉陽平)。
1874

 

明治7

 

帯屋弥十42歳(魚渡世)円生寺の東、嶋田勘平の畑地に間口6間・奥行き4間の芝居小屋を建て興行。

7月5日明治政府の(一村一社)方針で、白山、豊雷、住吉、天白、金山、社宮司、八幡、津島、稲荷、猿田彦、金毘羅、秋葉、天神を笠井春日神社境内に移転。

1875 明治8 笠井新田村が笠井新田村と上村に分村。
1876 明治9 8月21日、浜松県と静岡県が合併。笠井村の消防組(倭組、奈組、志組)が結成される。
1877  明治10 笠井地域の農家は綿の栽培、綿布の手織など。次第に笠井の織物が動き出した。
1879明治12笠井春日神社(若倭神社 相殿)の新拝殿が建立。
1880

 

明治13

 

若倭神社禮大祭として祭りが始まる。中古の木造の御輿で渡御を始めた(9月8、9日)。

祭り世話人は上組/加藤儀八43歳、山下吉十41歳。中組/島田勘平40歳、榎吉太八28歳。下組/高林善次郎41歳、青島忠平37歳が選出。初代総代/加藤儀八と島田勘平。

羽鳥村 杉浦仁平は水車で行う「ガラ紡」を発明。

1881

 

明治14

 

総代/山下吉十、高林善次郎。

本物の御輿を新築するように決まり、新神輿の準備の年となった。寄付集め、渡御をどう演出するか?長老の意見を交えて、新神輿にふさわしい本格的な渡御を目指した。莫大な寄付金が集められる。3月に岡崎の業者へ新神輿を発注。内金9円を払う。

9月6、7、8日には木造御輿で2回目の渡御。御仮屋は表木戸辺り(西村時計店付近)と推測。

笠井の商人は信州、東北へと綿布の販路を拡大。織物産業が発展。商人たちが発起、笠井銀行を設立。

1882

 

明治15

 

7月10日に新御輿(棟梁 加藤文二郎)が完成、総工費239円。

9月6、7、8日の祭典に、黄金の神輿が神々しい鳳凰を乗せ見事な姿をお披露目。鳳凰は木造、上がり藤の神紋を入れた。

お神輿の渡御については、金棒、高張提灯、太鼓、御旗、神旗、雅楽(笙、篳篥)の伶人、神職、神輿白丁12名、輿脇、御供櫃白丁2名、弓矢、鉾。側道を天狗面つけた猿田彦が沿道で土下座している頭上に榊でお祓いをする。後方のお供は手提灯、羽織袴、裃で行列に参加。笠井街道を歩き、上町の御仮屋にて一夜を過ごす。笠井まつりのスタイルが確立。御仮屋の位置は、明治16年の火事の名簿から、最初は裏木戸付近に、御仮屋、御輿台を設置した推測。(上の写真は平成8年解体修理後。下の写真はその時、確認された棟梁の署名)

3年目の当番総代は青島忠平39歳、榎吉太八30歳 ●年番 上組 松下仙五郎36歳、大梢太十、門奈茂吉、大橋寛吉/中組 石津福松、島田嘉平、山下安平/下組 内山利吉、袴田正太郎、鈴木弥十、鈴木友次郎。(当時は大変名誉ある役だった。)

1883

 

明治16

 

9月6、7、8日、御輿渡御。年番は前年同様12名が選出、神輿渡御の準備を担当。飾り屋台で神輿の後ろについて、若連の練りが始まる。

12月27日笠井上町の109軒が全焼。笠井は火事に弱く大災害になる。市神様焼失。福来寺本堂全焼。御仮屋の神輿台と燈籠台が焼失。2月18日豊田橋が開通。歩行者1人1銭、荷車4銭5厘。

1884

 

明治17

 

9月6、7日に祭りは例年通り行われる。前年の火事で上組は家などの復興中なので、大提灯二張を造って祭に参加。

●年番 上組 山下清七1人/中組 松下長四郎32歳、池田喜平、山下善吉、金田宗吉/下組 二代目山下才平、高林幸七、磯貝清吉

糸瓜(ヘチマ)栽培が始まる。笠井警察史に、「笠井村は男子誕生に初凧を上げ、親戚集い宴を開いた。近所には温かいが外からくる人に冷たい。多くが農民なので、婦人も男子のような服装だ」とある。笠井上組が火事から復興。

1885

 

明治18

 

9月6、7、8日 神輿の渡御。

笠井春日神社(若倭神社 相殿)の屋根替え(前回から6年が経過)。

1886

 

明治19

 

9月6日雨天延期 7、8、9日に祭典は行われた。

●年番 上組 川嶋松之助30歳、神谷新吉、山下春七、西村安太郎/中組 加藤徳太郎30歳、島田脩吉、若月秋吉、山内伝兵衛/下組 寺田仁恵茂30歳、高林卯平33歳、青島市平32歳、磯貝宗十

以後、毎年9月に笠井春日神社(若倭神社 相殿)の若倭神社禮大祭は、行われていく。

笠井村の北の端(現在の位置)に、御仮屋を新築。

8月松島吉平は郷里中善地へ帰る。「撫松庵」に十湖の門弟集まる。文化人来訪、俳諧が広まっていく。

1888明治21天竜川鉄橋完成。浜松駅開業。
1890

 

明治23

 

●年番 上町 藤田光太郎、松下佐平、池田友次郎31歳、小栗兼吉/下町 森下佐十、鈴木勘七(油屋呉服店)、鈴木幸作(油幸)、寺田友次郎(寺田米穀店)/中町 池田梅吉(和泉屋)、藤井和十、山下伊太郎、山下兼吉 (五色の旗を鍋屋から購入)

年番は2年交代。新人2名。

10月20日遠陽市場開設、発起人中村藤吉37歳。40店出店。

1891

 

明治24

 

笠井町発足(町制施行)

●年番 上町 池田友次郎32歳(池友)、小栗兼吉、松下仙助33歳(八木屋薬舗)、市川秀太郎36歳/下町 鈴木幸作(油幸)、寺田友次郎、鈴木米吉、松下峯吉/中町 山下伊太郎、山下兼吉、中和茂平二世、山下藤吉(米保田屋)

福来寺だるま市始まる。(聖観世音菩薩祭事 1月9、10、11日、臨時祭7月9、10日)

1892

 

明治25

 

◎氏子総代 加藤平四郎54歳、三代目山下吉十44歳。

●年番 上町(当番社)松下仙助34歳、市川秀太郎37歳。「役割:御仮屋建」/下町 鈴木峯太、松下峯吉、山本虎吉、嶋田徳太郎。「役割:鳥居建」/中町 山下藤吉(米保田屋)、休齊為吉、山田源八、竹原弥吉二世(浅羽屋)「役割:神輿組建」

各町の役割が決まった。当番社が決り、上町が当番社となる。

3月浜松中心街、242軒全焼。

1893

 

明治26

 

◎氏子総代 島田嘉平(鍋屋)、嶋田勘平(島田屋)。

●年番 上町 田口雄太郎(田口屋)、松島新平、笠井百太郎、粂儀一郎32歳(棟梁)/中町(当番社)長谷川信太郎、伊藤勲平、竹原清太郎31歳(浅羽屋)、鴫山文七/下町 山本虎吉、嶋田徳太郎、鈴木年平、加藤清七31歳(丸加)

※浜松商工会議所設立発起人30名(笠井からは池田為吉58歳、山下重平42歳)選出。西遠太物組合は遠江織物組合に改称。笠井縞は遠州木綿と統一。

1894

 

明治27

 

◎氏子総代 寺田源次郎、加藤佐平。

●年番 本町(下町から改められる)当番社。

4月浜名郡笠井町に。当時、笠井の風景を描いた司馬老泉の絵では、笠井街道の西は寺以外はすべて畑。

1895

 

明治28

 

◎氏子総代 山下吉47歳、加藤儀八58歳。

上町 倭魂社(わこんしゃ)・笠井商店の中心にあり、町の発展を大和(倭)時代の発展にちなみ、大和魂ここにありと言う思いで命名されました。中町 政諾社(せいたくしゃ)・笠井の中心に位置し役場や警察署があり、町の政治をした地域ということで命名されました。本町 笠勢司(りっせいし)・司法の行事を司っていた登記所(現・三区公会堂)があり、笠井の勢を示すことから命名されました

各町内が命名。大八車に丸太を立て軒花や提灯を飾った屋台で、若連はそれぞれの町内を引き回す。

1896

 

明治29

 

◎氏子総代 島田嘉平、島田勘平。

●年番 上町 川嶋清次郎32歳(川島屋)、島田作次郎、池田幸太郎(三品仲買商)、中安浪太郎/中町(当番社)永井仙次郎、池田龍之助31歳(帯屋)、山下金平/本町 高林茂作、竹内権平、磯貝宇平、岡本藤吉

長上郡から浜名郡 笠井町に。

1897

 

明治30

 

◎氏子総代 寺田源次郎、加藤佐平。

●年番 上町 加藤幸八(廉屋)、小杉桂蔵、川島兼吉、野末庄吉/中町 川合久吉、市川仁三郎、山下藤吉、川出桂治郎/本町(当番社)石神梅吉、鈴木峯太、小栗格太郎(太物)、寺田吉平

1898

 

明治31

 

◎氏子総代 三代山下吉十50歳、加藤儀八61歳(廉屋)。

●年番 上町(当番社)川島峯吉、野末庄吉、名倉嘉蔵(中屋)、大場信太郎/中町 山下峯吉、川出桂治郎、山田佐七、間淵由太郎/本町 小栗格太郎、寺田吉平、加藤次作、高林卯平45歳(廉屋古着商)

以降当番社は、上町、中町、本町の順で、年代わりで運営。

11月28日「大極上」神社太鼓 鈴木幸作寄贈、若倭神社、随處敬書。

1899

 

明治32

 

◎氏子総代 上町 二代目山下重平51歳、加藤儀八62歳。中町 島田嘉平、島田勘平。本町 高林卯平46歳、寺田友治郎(寺田米)。

●年番 上町 名倉嘉蔵、大場信太郎、神谷良八、須部弥三郎/中町(当番社)山田佐七、加藤虎太郎、坂田万作、柴田金治郎/本町 高林又蔵、加藤治作、神谷文吉、鈴木与平

祭典日を8月16、17、18日に決定。笠井春日神社(若倭神社 相殿)の本殿建造。春日神社雑用庫新設。

1900

 

明治33

 

◎氏子総代 山下重平51歳、加藤儀八62歳、島田嘉平、島田勘平、高林卯平47歳、寺田友次郎

●年番 本町(当番社)

本町に永世銀行、上町に資産銀行が設立。パリ万博に笠井の糸瓜(ヘチマ)を出品、高評価を得る。

1901

 

明治34

 

◎氏子総代 高林卯平48歳、寺田友治郎

●年番 上町(当番社)

1902

 

明治35

 

◎氏子総代

●年番 中町(当番社)

上町の「天満宮」に御仮屋建設。

1904

 

明治37

 

◎氏子総代

●年番 本町(当番社)

2月 日露戦争開戦。7月 池田橋流出。

1905

 

明治38

 

◎氏子総代

●年番 上町(当番社)

15歳から「入酒」1斗~2斗買って若連に入会、30歳で「引酒」を買って引退する習慣があった。当時1升は2銭/川島光次郎談。

豊田式 軽便式織機が完成、電気で能率が向上し品質良好、各地で導入。

1906

 

明治39

 

◎氏子総代 本町 高林卯平50歳、神谷久吉/中町 島田嘉平、榎吉太八54歳/上町 山下重平、山下浅七

●年番 中町(当番社)

若倭神社は笠井銀行より借用八百円也。記録あり。

1907

 

明治40

 

◎氏子総代 本町 高林卯平51歳、神谷久吉/中町 島田嘉平、榎吉太八/上町 山下重平、山下浅七

●年番 本町(当番社)

笠井春日神社(若倭神社 相殿)の正面鳥居を花崗岩(岡崎産)で建造。

1908

 

明治41

 

◎氏子総代 本町 高林卯平52歳、神谷久吉/中町 島田嘉平、榎吉太八/上町 山下重平、山下浅七

●年番 上町(当番社)

笠井の織物産業は好景気、祭典が大いに盛り上がる。笠井街道に町並み500軒。商店会も活気に満ちていた。

1909

 

明治43

 

◎氏子総代 本町 高林卯平、神谷久吉。中町 島田嘉平、榎吉太八。上町 山下重平、山下浅七。

●年番 本町(当番社)

笠井郵便局電話始まる。

1911

 

明治44

 

◎氏子総代 本町 高林卯平58歳、神谷久吉/中町 島田嘉平、榎吉太八59歳/上町 山下重平63歳、山下浅七

●年番 上町(当番社)

1912

 

明治45

 

◎氏子総代 本町 高林卯平、神谷久吉/中町 島田嘉平、榎吉太八/上町 山下重平、山下浅七

●年番 中町(当番社)

7月30日明治天皇崩御

1912

 

大正1

 

 ◎氏子総代 本町 高林卯平、神谷久吉/中町 島田嘉平、榎吉太八/上町 山下重平、山下浅七。

●年番 本町(当番社)

大正時代のお神輿渡御と神馬

1913

 

大正2

 

◎氏子総代 本町 高林卯平、神谷久吉/中町 島田嘉平、榎吉太八/上町 山下重平、山下浅七

●年番 上町(当番社)

若倭神社禮大祭に屋台が登場。(写真は倭魂社/そろいの浴衣姿)

藤原兵吉は神徳座(しんとくざ)を若林に開業(演劇場)。東海道複線化開通。

1914

 

大正3

 

◎氏子総代 本町 高林卯平、神谷久吉/中町 島田嘉平、榎吉太八/上町 山下重平、山下浅七

●年番 中町(当番社)

倭魂社屋台に人形飾る。

1915

 

大正4

 

◎氏子総代 本町 高林卯平、神谷久吉/中町 島田嘉平、榎吉太八/上町 山下重平、山下浅七

●年番 本町(当番社)

天皇即位の大甞祭の後、初めて行う新嘗祭の余興で、倭魂社のやり方に対して、西町有志がこれを遺憾とし西町単独で行うことになり「精華團」と名乗る。(相撲大会、樽御輿、山車、出囃子の音楽隊で練る)

笠井町立女子技芸学校開校。

1916

 

大正5

 

◎氏子総代 本町 高林卯平60歳、小栗格太郎/中町 小杉源八(紫屋)、松下長四郎64歳(八木屋)/上町 山下重平、山下浅七

●年番 上町(当番社)

精華團は山車が間に合わず、上大瀬より借り単独行動。

1917

 

大正6

 

◎氏子総代 本町 高林卯平61歳、小栗格太郎/中町 小杉源八、松下長四郎/上町 山下重平、山下浅七

●年番 中町(当番社)

精華團が正式に氏子総代の裁断で倭魂社の分家として承認。山車を新調。

笠井近郊で温室農業が盛んになる。

1918

 

大正7

 

◎氏子総代 本町 金田太平、鈴木勘七/中町 池田龍之助53歳、小杉源八/上町 川嶋清次郎54歳、山下浅七(金物保田屋)

●年番 本町(当番社)

笠井春日神社(若倭神社 相殿)の若倭神社禮大祭祭典日が8月16、17、18日に変更。

各地で米騒動起き、消防組は警戒。米市価1升45銭。遠州織物で成金が続出。スペイン風邪流行。

1919

 

大正8

 

◎氏子総代 本町 金田太平(金田屋)、鈴木勘七(油屋)/中町 池田龍之助(帯屋)/小杉源八(紫屋)/上町 川嶋清次郎(川島屋)、山下浅七

●年番 上町(当番社)

精華團は大太鼓1個、小太鼓4個、境提灯3張を購入。天然痘が浜松で流行る。

192

 

大正9

 

 ◎氏子総代 本町 金田太平、鈴木勘七/中町 池田龍之助、小杉源八/上町 川嶋清次郎、山下浅七●年番 中町(当番社)

3月株価大暴落 遠州織物不況。6月20日資産銀行と西遠銀行が合併して遠州銀行に、頭取は竹山謙三。

1921

 

大正10

 

◎氏子総代 本町 金田太平、鈴木勘七/中町 池田龍之助、小杉源八/上町 川嶋清次郎、山下浅七

●年番 本町(当番社)

3月31日 笠井町役場に火の見櫓15mを建てる。ガソリン消防車設置。

1922

 

大正11

 

◎氏子総代 本町 金田太平、鈴木勘七/中町 池田龍之助、小杉源八/上町 川嶋清次郎、山下浅七。

●年番 上町(当番社)

八木橋周助は「笠井自動車商会」開業。6~8名の定員バスで一日6往復。

1923

 

大正12

 

◎氏子総代 本町 金田太平、鈴木勘七/中町 池田龍之助、小杉源八/上町 川嶋清次郎、山下浅七

●年番 中町(当番社)

神輿のうしろに屋台が登場。倭魂社は二俣から中古の漆塗り屋台(下の写真)を購入、法被に白短パン、揃い腰帯。

2代目 政諾社屋台完成。(掛塚の棟梁・坂田歌吉/彫刻・伊藤松次郎)

この頃から中町のマルス青果と高林家具前の道路中央の秋葉燈籠と火の見櫓前に、祭壇と注連縄を張り市神様が行われた。

※9月1日関東大震災。八木橋周助は、浜松~笠井のバス運行(8人乗り・料金50銭、道路途中でも乗車可能)。中谷自動車商会(合同)も笠井~中瀬小松宮口を運行。

1924

 

大正13

 

◎氏子総代 本町 金田太平、鈴木勘七/中町 池田龍之助、小杉源八/上町 川嶋清次郎、山下浅七

●年番 本町(当番社)

精華團は屋台建設 福来寺境内に屋台小屋新設。

1月笠井技芸学校焼失。3月6日遠陽市場で火事。北19店全焼、3店被害。豊田佐吉が完全自動織機完成。笠井で織物工場の下請けが増える。

1925

 

大正14

 

◎氏子総代 本町 金田太平、鈴木勘七/中町 池田龍之助、小杉源八/上町 川嶋清次郎、山下浅七

●年番 上町(当番社)

若倭神社禮大祭に「統監」設置。

笠井町立笠井高等職業女学校開校。4月8日私立笠井幼稚園開園(園長は木俣なみ)。遠州織物は震災後、大阪デパートで大好評、全国展開へ。木俣千代八は貴布弥に日清紡績を誘致。

1926

 

大正15

昭和1

◎氏子総代 本町 金田太平、高林卯平70歳/中町 池田龍之助、鈴木清一郎/上町 川嶋清次郎、三上義武

●年番 本町(当番社)

◉政諾社若連社長・統監 内村岳史、池端謙、太田武史、鈴木寅吉、池田彦十

笠勢司屋台建造(棟梁・本町 高井喜代司)。

8月19日、神勢團は笠勢司のから独立した。

政諾社屋台新築(棟梁掛塚 坂田歌吉、鳳凰 伊藤松治郎、鬼板 山下久一郎)人形を飾る(猿飛佐助、織田信長、忍術使い、今川義元、徳川武将/島田圭司さんの記憶)。政諾社屋台建築。/役員 古木五郎三郎、小杉源一、池田覚、磯貝丑太郎、野田秀治、島田喜一郎 山田源七。寄付者44人。池田寅吉、山下松太郎、堀内春吉、寺田喜代市、秋山兵十、山田正太郎、松下藤吉、織田信治、大野儀十、市川良八、袴田喜作他など

12月25日大正天皇崩御。

1927

 

昭和2

 

◎氏子総代 本町 金田太平、高林卯平70歳/中町 池田龍之助、鈴木清一郎/上町 川嶋清次郎、三上義武

●年番 上町(当番社)

神勢團は橋爪(旧万斛/まんごく)村より、屋台を借りて人形を飾り参加。8月御仮屋に「若倭神社の幕」を袴田清吉・袴田春吉が寄贈。

日本楽器社長川上嘉市、河合楽器河合小市社長独立。高柳健次郎テレビジョン実験成功。

1928

 

昭和3

 

◎氏子総代 本町 小栗格太郎、高林卯平/中町 池田龍之助64歳、鈴木清一郎/上町 三上義武、小倉茂

●年番 中町(当番社)

西町を住吉町と命名。雨のため樽(たる)御輿で行った。上町年番田村毅一氏より、精華団よから年番を出してほしいと要請あり福代与助がなった。

神勢團は屋台建造(笠勢司から独立)鈴木和三郎が中心となって実現。17、18日は雨のため、樽御輿で行った。

1929

 

昭和4

 

◎氏子総代 本町 小栗格太郎、高林卯平74歳/中町 池田龍之助65歳、鈴木清一郎/上町 三上義武、小倉茂

●年番 本町(当番社)

精華團は子供が揃いの浴衣で踊り、町内の羨望の的に。※お囃子(巾1間9尺、長さ2間、2寸角の柱、左右の弓張のように提灯を並べ提灯の下に造花を飾り、小太鼓3個をぶらさげて、歩きながら叩く、三味線2人、横笛2人鐘(ちんちろりん)1人、曲目は(ごろう、かごまわし)。神勢團、屋台の人形を中止。

春日神社社務所改築(石神春江宮司)。2,426円の氏子の寄付金で建設。

世界大恐慌(ニューヨーク株大暴落)。

1930

 

昭和5

 

◎氏子総代 本町 小栗格太郎、高林卯平/中町 池田龍之助、鈴木清一郎/上町 三上義武、小倉茂

●年番 上町(当番社)

笠井春日神社(若倭神社 相殿)の表石垣建設(寄付/加藤實次郎、加藤伊久蔵、加藤清七)

雷神社鳥居建設(寄付/池田龍之助66歳、加藤弥太郎)

糸瓜500万本(海軍の甲板掃除用年20万本、皿敷、火鉢敷、スリッパ、湯殿敷、土瓶敷、肩流し)最盛期。

1931

 

昭和6

 

◎氏子総代 本町 小栗格太郎、高林卯平/中町 池田龍之助、鈴木清一郎/上町 三上義武、小倉茂。

●年番 中町(当番社)

笠井町祭典連合会発足(各社、全員参加)。精華團は三福の芸者さん指導で「住吉踊り」など習う。町中の人気を集めた。神勢團若連は、子供に菓子を配る、屋台小屋塗装、屋台の車巾狭く修繕。

2月26日笠井商工会創立。(商業293軒、工業213軒、農業169軒、糸瓜業、織布業52軒、染色13軒、糊付18軒、管巻整経8軒、織機製造1軒)。満州事変 以後15年続く日中戦争で日本は軍国主義へ。

1932

 

昭和7

 

◎氏子総代 本町 小栗格太郎、高林卯平/中町 池田龍之助、鈴木清一郎/上町 三上義武、小倉茂

●年番 本町(当番社)

倭魂社と精華團は、屋台に人形を屋台に飾った。笠井では屋台が廻って来ると、ご祝儀を出す習慣があり若衆は朝まで屋台行動をしていた。

お囃子連は芸者さんの三味線に合わせ、浴衣に花笠をかぶり夕方から夜9時頃まで踊った(倭魂社の話)。写真は昭和8年の住吉お囃子連屋台。

5・15事件。国際連盟脱退、日本は軍国化へ。

1933

 

昭和8

 

◎氏子総代 本町 小栗格太郎、竹山仁太郎/中町 鈴木清一郎、古木貞太郎/上町 三上義武、小倉茂

●年番 上町(当番社)

12月29日皇太子奉祝は、法被着用、靴禁止、提灯行列。

笠井春日神社(若倭神社 相殿)の寶庫(ほうこ)建設。工事費894円10銭5厘。

笠井郵便局は洋館で新築(榎吉純局長)

1934

 

昭和9

 

◎氏子総代 本町 小栗格太郎、竹山仁太郎/中町 鈴木清一郎、古木貞太郎/上町 三上義武、小倉茂

●年番 中町(当番社)

大鳥居6m「蛇籠」を笠勢司が建立(以後22回、昭和32年まで)と、そのころの笠井。

9月28日ラジオ放送局にて12時15分から10分間、政諾社役員は祭囃子を披露。神勢団法被揃える。

1935

 

昭和10

 

◎氏子総代 本町 小栗格太郎、竹山仁太郎/中町 鈴木清一郎、古木貞太郎/上町 三上義武、小倉茂

●年番 本町(当番社)

写真は倭魂社が立てた吹き流しと倭魂社屋台。神勢団は太鼓新調。

1936

 

昭和11

 

◎氏子総代 本町 小栗格太郎、竹山仁太郎/中町 鈴木清一郎、古木貞太郎/上町 三上義武、小倉茂

●年番 上町(当番社)

精華團記録終了。神輿の渡御は30分早める。写真はこのころの飾り付け人形。

若倭春日社の社格昇進願いを神主・石神春江が提出。静岡県遠江国浜名郡笠井町字若林 鎮座 村社式内 春日神社。

八幡山中央広場で草競馬行う。笠井中野球部が西部地区で最強。松島芳郎監督、鈴木和雄先生、豊田茂夫先生、八木橋周助後援会長。二・二六事件発生。二俣国鉄線開通。

1937

 

昭和12

 

◎氏子総代 芦原清八、高橋多賀蔵、鈴木清一郎、古木貞太郎、三上義武、小倉茂

●年番 中町(当番社)

◉倭魂社 統監 初瀬榮一郎、社長 前川春雄、松島武男、今井恒三、高柳芳雄、森島一男、犬塚一男、鳥羽山義雄、夏目重雄、古木貞雄

◉精華團 統監 田邉力蔵、理事長 高柳繁治、副 太田繁数、伊藤金平、池田幸雄、鈴木光治、大石幸一、川島安太郎、清水勇次郎、村田良一

◉政諾社 統監 小栗春夫、社長 榎吉竹治、副 池田幸一、鈴木桂、山下貞雄、島田喜一、瀧口猛、袴田清十、伊藤良平、秋山誠治、山下正司

◉笠勢司 統監 高林賢次郎、社長 寺田浅吉、副 山田吾一、袴田廣治、竹内常次、藤井長市、鈴木三郎、加藤恒七、鈴井一男、池田敏雄

◉神勢団 統監 高井喜代治、理事長 加藤一郎、副 高井虎雄、藤原時、中村吉平、神谷茂三郎、鈴木傳次郎、森島繁雄、鈴木民雄、中津川勇

倭魂社屋台新築。2月27日春日神社本殿玉垣を新築。花崗岩天竜丸石。工事費643円12銭

遠州織物生産額は過去最高に。7月日中全面戦争で綿花、綿糸統制。松菱百貨店開店。

1938

 

昭和13

 

7月23日笠井春日神社(若倭神社 相殿)が郷社に認定。以降、若倭神社禮大祭は、笠井春日神社禮大祭で開催。

◎氏子総代 本町 芦原清八、高橋多賀蔵。中町 鈴木清一郎、古木貞太郎。上町 三上義武、小倉茂

●年番 本町(当番社)

◉倭魂社 外交正 鳥羽山義雄、副山下正男、犬塚一男、夏目重雄

◉精華團 外交正 川島安太郎、渥美慶三

◉政諾社 外交正 島田喜一、副影山國一、高林政雄、菅沼通幸。政諾社若連社長 池田幸一、統監 守屋三郎

◉笠勢司 外交正 竹内基雄、鈴木実、鈴木一男、池田敏雄

◉神勢團 外交正 高井虎雄、副森島繁雄、藤原時

非常時で屋台行動は禁止。神輿の渡御のみ行う17日雨、18日渡行、19日還行。国家総動員法公布。

1939

 

昭和14

 

◎氏子総代 本町 芦原清八、高橋多賀蔵。中町 鈴木清一郎、古木貞太郎。上町、三上義武、小倉茂

●年番 上町(当番社)

◉倭魂社 統監 高柳芳男、社長鳥羽山義雄、山下正男、犬塚一男、夏目重雄、島田徳治、山田精治、古木貞雄、五味鉄彦、西村章

◉精華團 統監 池田幸祐、理事長川島安太郎、鈴木光次、村田良一、渥美敬三、鈴木恒雄、渡辺嘉一郎、高林初太郎、鈴木清一

◉政諾社 統監 池田幸一 社長 島田喜一、影山國一、伊藤良平、山下正司、鈴木弥之助、西岡正平、吉田政太郎、菅沼通卋

◉笠勢司 統監 鈴木三郎、社長 竹内常次、加藤恒七、鈴木實、鈴木一男、池田敏雄、高林佐七、刑部政夫、袴田猪太郎、名倉益見、神谷忠雄

◉神勢團 統監 高井喜代治、理事長 高井虎雄、森嶋繁雄、藤原時、鈴木良雄、中津川勇、鈴木傳次郎、森傳十郎、神谷茂三郎、中村吉平

袴田清十、秋山誠治は出兵中。16日川浜で身体清め、皇居を向いて参拝、戦線勇士に黙祷、そして神酒をいただく。酒は一日2升まで会所以外では飲まない、宣伝禁止、人形禁止、国旗を飾る、武運長久の垂れ幕飾る、軒花とぼんぼりは赤提灯に。境提灯禁止。お囃子の曲は軍歌調とする。馬鹿囃子は禁止。17日18日は節約12時終了解散。

笠井中野球部西部地区で最強。松島芳郎監督、鈴木和雄、豊田茂夫、八木橋周助後援会長。

国民徴用令公布。

1940

 

昭和15

 

◎氏子総代

●年番 中町(当番社)

◉倭魂社 統監 山下正男、社長 夏目重雄、副山田精治、古木貞雄、五味鉄彦、小野菊雄、杉田亀若、河村景一、鳥羽山行夫、金田久、桑原保夫

◉精華團 統監 池田幸祐、理事長 鈴木光次、副鈴木常吉、渡辺嘉一郎、高林初太郎、鈴木清一渥美桂三、大城元弥、高橋京一、岡原弥市

◉政諾社 統監 島田喜一 社長 影山國一、副 袴田清十、高林政雄、菅沼通卋、鈴木弥之助、伊藤良平、山下正司、吉田政太郎

◉笠勢司 統監 鈴木一男、社長 池田敏男、副 高林佐七、刑部政夫、池川勇、渥美京一、神谷忠夫、名倉益見、河合清、袴田猪太郎

◉神勢團 統監 高井虎雄 理事長 森嶋繁雄、副 藤原時、中津川勇、鈴木傳次郎、森傳十郎、神谷茂三郎、鈴木武治、大石政治

政諾社も、お囃子連があった(鈴木憲談)。神勢団の記録では16、17、18日の余興、屋台お囃子連は氏子総代の許可が必要とある。

写真は倭魂社屋台

福来寺に地方卸売市場笠井青果市場開設(発起人坂田作蔵)。日独伊三国同盟。

1941

 

昭和16

 

◎氏子総代

●年番 本町(当番社)

◉政諾社 社長 影山國一 統監

倭魂社の吹き流し、政諾社の幟、例年通り行う事、各社司團連合で奉納相撲大会を開催。神酒は一日2升と定め会所で飲むこと、世の中の情勢により屋台行動は中止。青年は神輿の渡御に参加。

太平洋戦争開戦する。ラジオ放送始まる。

1942

 

昭和17

 

◎氏子総代

●年番 上町(当番社)

◉倭魂社 統監 河村景一 社長 鳥羽山行夫、副 松下幸夫、金田久、吉田喜太郎、館重夫、長尾久一、大塚泰二、小野菊雄

◉精華團 統監 鈴木常治、理事長 大城安太郎、副 渡辺嘉一郎、高橋京一 渥美桂三、鈴木清一、福代善代次、小栗新次、大城文弥、中安実

◉政諾社 統監 影山國一社長 袴田清十、副 伊藤良平、秋山誠治、白瀬庄平、小藪正三、久米新平、松島博、大木績、鈴木恒雄

◉笠勢司 統監 高林佐七、社長 袴田猪太郎、副 刑部政夫、神谷忠夫、名倉益見、河合清、鈴木治郎、松本久太郎、高井賢吉

◉神勢團 統監 鈴木傳次郎、理事長 森傳十郎、副 神谷茂三郎、鈴木武治、大石政治、山下待雄、島田敏治、金田卯一、加藤為三郎、鈴木泰介

倭魂社の吹き流し、政諾社の幟、境提灯は例年通り設置。大東亜戦争時局の重大時に付き置き屋台。日章旗と海軍旗神輿の腰脇に立てた。

1943

 

昭和18

 

◎氏子総代

●年番 中町(当番社)

◉倭魂社 統監 鳥羽山行夫、社長 松下幸夫、金田久、小野力雄、長尾久一、村松誠一郎

◉精華團 統監 高橋京一、理事長 渡辺嘉一郎、副 渥美桂三、大城元弥、中安実、照井与太郎、福代善代次、鈴木五郎

◉政諾社 統監 小藪正三、社長 伊藤良平、副 秋山誠治、白瀬庄平、吉田政太郎、鈴木常夫、川合繁、戸塚定頼、高林駒吉

◉笠勢司 統監 袴田猪太郎、社長 神谷忠夫、副 名倉益見、寺田隆二、河合清、長谷川保、鈴木治郎、高井賢吉、吉田昇八、三浦政一

◉神勢團 統監 森傳十郎、理事長 鈴木武治、副 大石政治、島田敏治、加藤為三郎、鈴木浅雄、奥島繁雄

境提灯、吹き流し、幟は年通り、屋台行動中止、余興は随意。会所は例年通り。防空の報ある時は中止。

永世銀行が、静岡銀行笠井支店(石造りの建物)に。

1944

 

昭和19

 

◎氏子総代

●年番 本町(当番社)

◉政諾社 若連社長 秋山誠治

樽御輿でおこなった。12月9日東南海地震。福来寺観音堂の西側に被害あり。12月23日浜松に空襲市内壊滅。

1945

 

昭和20

 

◎氏子総代

●年番 上町(当番社)

小倉三夫さんは、お囃子連を曳いて数人で町を歩いたと証言。3月10日 東京大空襲10万人死亡。8月6日広島9日長崎原子爆弾 8月14日(無条件降伏・ポツダム宣言受託)8月15日終戦。祭典は中止。

1946

 

昭和21

 

◎氏子総代

●年番 中町(当番社)

◉倭魂社 統監高林貞雄、社長 森下昌一、副 石神長夫、山下重男、鈴木正、笠原源一、宇田彦太郎、池田譲、大塚泰三、中安啓児、中安二三男、小野静雄、高林眞澄

◉精華團 統監 渥美桂三、理事長 吉田辰雄、副 小木実、福代善代次、葛谷照彦、袴田清市、松本昴、小窪重明、坂田良忠、大村要三、大村増夫、大軒竜雄、大澤鶴吉

◉政諾社 統監 山本正郎、社長 中村甲治、副 佐藤吉雄、中谷豊吉、高林駒吉、石牧義治、秋山恭一、島田圭司、袴田良雄、池田益雄、山下修一、加藤誠一、堀内弘明、鈴木健一

◉笠勢司 統監 岡本武雄、社長 高井賢吾、副 磯貝光司、寺田邦治、山下清一、神谷慶二、吉田利夫、大井武、鈴木幸博、高井安雄、芦原八郎、平松茂雄、顧問神谷忠夫、名倉益見、石川鹿三

◉神勢團 統監 野末要三、理事長 奥島繁雄、副 鈴木浅雄、高井安正、島田五郎、原榮一、杉本武夫、小田謙三、寺田新一、川口博、松原富剛、竹内佐平、山口弥平

お祭りは慰安祭として行った。東京音頭、瑞穂(みずほ)踊りで町内を一周。神勢団は祭典費を区費の20倍に。

財閥解体。地主制度が崩壊。農協ができる。本田技術研究所のポンポン。古橋広之進の世界記録。りんごの歌。松田屋のしそ巻工場開場。帯屋、石灰岩より石綿工場で煙突の原料作る。

日本国憲法公布。22回総選挙、婦人に参政権。通貨旧円使用禁止。

1947

 

昭和22

 

◎氏子総代

●年番 本町(当番社)

◉倭魂社 統監

◉精華團 統監

◉政諾社 統監  若連社長 影山國一(35歳)。

◉笠勢司 統監

◉神勢團 統監

屋台行動のみ実施(写真、上は政諾社、下は神勢團)。

本町蛇篭で大鳥居を飾る、中町マルス前と郵便局前に大幟、上町は五色の吹き流し、上町は御仮屋の夜警備を担当。春日神社は県社六等級に認定。

学校で六・三制実施。パン12円、牛乳15円、床屋子供10円、酒1升425円。1月10日だるま市開催。

1948

 

昭和23

 

氏子総代

●年番 上町(当番社) 山下正司

お神輿の渡御再開。政諾社 社長 中谷豊吉。屋台を青厓の絵画で飾る。写真は精華團、若連。

11月大下弘25歳、笠井小で野球教室開く(八木橋周助宅に宿泊)。

1949

 

昭和24

 

◎氏子総代

●年番 中町(当番社)

◉倭魂社 統監

◉精華團 統監

◉政諾社 統監 若連社長 高林駒吉(中谷豊吉)

◉笠勢司 統監

◉神勢團 統監

祭典に、露天商が伊藤下駄屋から郵便局付近まで並んだ。福来寺に大吹き流しを立てる。倭魂社は山形屋の二階から投げ持ちを行った。(写真は政諾社)

神輿の渡御実施。裃袴で各家1名、神輿の供に出た。夜遅い出発だったので参加しやく、お仮屋から福来寺まで長い行列に。

ガチャマン景気の織物産業が笠井をリード。特紡、ガラ紡、コール天、小巾織物。大相撲が福来寺で2回興行。

1950

 

昭和25

 

◎氏子総代

●年番 本町(当番社)

◉統監 中町 高林駒吉、本町 鈴木幸博、上町 小田一、住吉 吉田友八、春日 池田幸太郎

◉政諾社 若連社長 笠原七郎、岩本義男、三室正雄、池田益男、中村

写真は倭魂社

1951

 

昭和26

 

◎氏子総代

●年番 上町(当番社)/政諾社 中谷豊吉

◉政諾社 若連社長 小杉茂、統監 高林駒吉、(島田圭司、山田喜久治)

写真は倭魂社のお囃子連と花屋台。

笠井町と豊西村が合併。合併記念に5月7、8、9日屋台行動。笠井商店会連盟で花火を200発天竜川で上げる。

1952

 

昭和27

 

◎氏子総代

●年番 中町(当番社)高林駒吉

◉倭魂社 統監 松谷正十三、社長 安川喜代次、副 小倉光男、松島教一郎、高林眞澄、中谷次夫、鈴木春安、小池忠光、渡辺寅市、秋山金吾、夏目章、杉山五郎、寺崎一郎、椋本正美、大石睦治、山内静也、山下東平、犬塚義一、日下部恒夫、葛西忠彦。顧問 池田精作、宇田寛、石津伊太郎

◉精華團 統監 大村要三、理事長 大野龍雄、副 松本、袴田精一、福代勉、太箸清、坂田良忠、大村増夫、永田徳次、小沢逸郎、山下良道、松島眞次、田中忠二、川合清、國本秀治、宮本全次、中村照夫、清水行雄、鈴木一雄、鈴木孝博

◉政諾社 統監 小杉茂、社長 神谷惣一、副 大場広夫、袴田賢三、梅田勝、石野芳夫、進藤丈二、石牧満壽江、松島重男、石野隆、久島實、中谷卓、池田米治、田辺保一、河合保二、藤森保明、礼次郎、顧問 島田圭司、山田菊治

◉笠勢司 統監 川合角次、社長 加藤徹吉、副 竹内達、石神康弘、高橋朝男、大井清、秋山昇、磯貝照茂、高木進、山下久、石神陸平、鈴木邦夫、中安保、大西実

◉神勢團 統監 岡本光太郎、理事長 竹山雅三雄、副 森彦十郎、鈴木庄吉、鈴木留三郎、伊藤繁雄、山下源一郎、大石春雄、坂田敏雄、石津静雄、鈴木喜代治、森安治、竹内勘次、鈴木勉、鈴木淳、斎藤忠司、足立慶一、柴谷朝光、鈴木与士夫

16日は午後12時まで。屋台は17、18日、神勢團はやまや角、笠勢司は萬屋前、政諾社、精華團、倭魂社は丸保四辻前に並ぶ。舗装区間は午後21時まで。舗装区間の家に散水を依頼。(写真は政諾社)

7月22日笠井街道は全面アスファルト舗装に。

1953

 

昭和28

 

◎氏子総代

●年番 中町(当番社)年番長 高林駒吉、鈴木敬哉、内藤菊雄、石牧宏悦/上町 池田譲、袴田、小田一

/住吉 大軒龍雄/本町 鈴木/春日 松原、小田。

◉政諾社 社長 袴田賢三

春日神社周辺で17日夜に花火大会を始めた。年番は花火の寄附集める。

天竜川の大水で濁流のため大川で、清水払いを行う。笠井中講堂落成。校歌できた。

1954

 

昭和29

 

◎氏子総代

●年番 本町(当番社)古木篤郎、三室正夫、石牧義輝、高林駒吉

◉政諾社 社長 初村佐一(28歳)、統監 袴田賢三(石野芳夫、袴田賢三、加茂庄市、久島實、松島重雄、山下正吉)

(神輿の白丁)小栗熊十、町田宗男の父。(高張)島田圭司、鈴木菊治郎(弓)小杉茂、笠原七郎、佐藤吉雄、高井喬、(小鉾)河合恵、鈴木敏夫、長谷川太郎、(太鼓)金子新太郎、鈴木安太郎

3月31日  笠井町は浜松市と合併。12月浜名自動車(株)田村毅一54歳社長、西の山へ工場建設。

1955

 

昭和30

 

◎氏子総代

●年番 上町(当番社)

◉政諾社 若連社長 石牧宏悦

神勢團と精華團は屋台新築中で屋台行動は無し。神輿渡御は夜9時出発。屋台行動は夜中の2時頃まで。

1956

 

昭和31

 

◎氏子総代 川島光次郎、小倉一丸、田地川佐太郎、金田榮一、竹山栄司、鈴木寅吉

●年番 中町(当番社)古年番内藤菊雄、鈴木敬哉、新年番松島重雄、池端昭二、相沢益男、袴田賢三

◉政諾社 若連社長 伊藤孝一郎29歳、石野隆、池田米治。

政諾社お囃子し連(犬塚儀明、松本芳郎、池川英雄若連2名、加音屋2名)は最後の年。

お神輿行列は(御神馬)鈴木福三郎、(金棒)山下貞雄、(露払)石野芳夫、川島喜三郎、(高張)山下東平、坂田良忠、(砂蒔)佐藤吉雄、中村明、(太鼓)渥美清太郎、山田藤七、(天狗)照井與太郎、(大鉾)柴谷朝光、(小鉾)森安治、伊藤繁男、石神康弘、森彦太郎、(弓)葛西正宗、松島教一郎、宇田寛、夏目英吉、(矢方)鈴木與士夫、大井定夫、(大榊)大村淳一、(銭箱)平松保、山田林平、(輿)齋藤丒松、大石政治、鎌田三郎、山北敏夫、松本久太郎、小栗熊十、町田宗次郎、馬淵時雄、鈴木金一、高津政一、杉浦健次、久島藤平、(輿脇)高林義雄、小倉三夫、内山静雄

岡本光太郎、柴山寅雄、小杉茂、(小鉾)久島實、河合恵、笠原七郎、大村増夫、今泉寅男、大石睦治、(御供物)渥美茂一、鈴木年一。

神武景気が、高度経済成長推進。佐久間ダム360億円で完成

1957

 

昭和32

 

◎氏子総代

●年番 本町年番(当番社)/中町年番 松島重雄、池端章二、相沢益男、袴田賢三

◉政諾社 若連社長 犬塚儀明29歳、田辺保一、小笠原義明

お神輿行列は(高張)中村明、大石力、(弓)山下修一、川島喜三郎、山下章吉、小杉茂、(小鉾)冨田文夫。加茂貞雄、石牧満壽江、(太鼓)杉田眞太郎、(金棒)山下貞雄、(輿)町田宗次郎、松本久太郎、右島左輔、小栗熊十、(輿脇)初村佐一、石野芳夫。

笠勢司の蛇篭は永島の今井喜代治が造る。8月16日午後3時から7時組み立て完成。費用は1万円。4~5年で造り変える。白布は52反、羽鳥屋クリーニングで洗う。しめ縄は白布で造る。丸太、杭打ち材木、竹棒は氏神倉庫へ、額は養円寺、縄は油屋倉庫へ収納した。神勢団 屋台、お囃子、手踊り。

糸瓜産業は戦後最高。生コンも高度成長下で急成長。笠井土地改良区設立。

1958

 

昭和33

 

◎氏子総代

●年番 上町年番(当番社)/中町年番 相沢益男、袴田賢三、初村佐一、加茂章一

◉政諾社 若連社長 松本芳郎。

お神輿行列は(大鉾)池田米治、石野隆、(小鉾)小笠原義明、石牧満壽江、(矢方)久島實、中村明、(銭箱)渥美茂一、杉田眞太郎、(輿)町田宗次郎、右島佐輔、松本久太郎、小栗熊十、(輿脇)石野芳夫、高林嘉一

精華團、福来寺の現在地に屋台小屋を新築。笠勢司は蛇籠の大鳥居を廃止。大幟を立てる事にした。幟の竿は阿多古山へ田地川佐太郎、鈴木寅吉、川島光次郎が買いに行った。お囃子連中止(若連と子供が集まらなくなった)。

蛭子森発見 秋葉ダム完成。

1959

 

昭和34

 

◎氏子総代 島田良太郎、小杉。

●年番 中町 年番長 初村佐一、副 石野芳夫、高林嘉平、石牧宏悦、犬塚儀明、内藤菊雄、鈴木敬哉、田村慎一。乗馬(犬塚儀明31歳、石牧宏悦33歳)

◉倭魂社 統監 門奈剛一、社長 中村哲夫 副 山本隆一、竹内三郎、小栗一雄、鳥羽山鉄雄、鈴木豊二、市川幸雄、鈴木健二、寺田隆夫、小倉亮、秋山光雄、渡辺宏、名倉進、山下実、池谷勝、渥美祐一、内田実、堀内晃、青島守晴、武田俊雄、大村辰雄

◉精華團 統監 桑原勝 理事長 永田徳司、副 坂田庄司、高橋一夫、中村永治、中野和夫、伊藤高男、守屋隆、寺田政太郎、山下博、竹原明、砂子◉力、山下周衛、高林慶吉、馬淵匡司、大村金光、斎藤岩男、渡辺玉男、國本利夫、鳥羽山隆、仲村茂雄、中川巳一、国井俊彦、田辺勘七、村木謙次

◉政諾社 統監 松本芳郎、社長 名倉善治、副 池田幸雄、伊藤幸雄、小栗正成、池川英雄、鈴木繁弘、松村達己、金田旭、長谷弘、田辺一夫、金田富士雄、高柳長良、菅沼利夫、杉村哲司、中津川志郎、馬塚義治、鈴木真爾、榎吉正幸、寺田久夫、袴田修、磯部隆治、鈴木憲、石牧輝夫、伊藤欽授、鈴木修二、小栗寛、鈴木新二、山下正通

◉笠勢司 統監 波多野嘉信 社長 小粥英滋、副 大西実、金田吉夫、金田隆宗、石川幸夫、竹内正治、内山敬、川合啓資、鈴木重男、山下庄市、髙林宏、池田真澄、袴田浩司、鎌田徹文、山田政伸、河合静夫、高林正喜、鈴木真司、小栗春雄、菅沼孝友、波多野彰彦

◉神勢團 統監 旭加一、理事長 坂田正憲、副 松本由夫、岡本峯吉、鈴木昭五郎、竹原三郎、鈴木七郎、鈴木幸雄、足立孝、山崎雄策、伊藤卓、藤田陽一、平野幸雄、清水道俊、中村清、竹内明男、中野誠一、富田明、寺田久、袴田義晴、鈴木静男、森下謙二、鈴木基司、石神清、石井康一、山田清二。(屋台の人形を廃止した。見返り幕を新調。伊勢湾台風で屋台小屋大破し、屋台横転。)

17日屋台は、倭魂社は観音前、精華団は丸保角、政諾社は中安医院前、笠勢司は静銀前、神勢團やはまや角に7時20分集合、御仮屋到着8時50分まで。下駄皮靴は駄目。前の屋台との間隔は綱先から15m。統監の接待はジュース。外交は綱先へ2名以上付く。

1960

 

昭和35

 

◎氏子総代

●年番 本町

◉政諾社 若連社長 伊藤幸雄、名倉善治、神谷良一、小栗正成。

屋台は、倭魂社(福来寺前)精華團(丸保角)政諾社(中安医院前)笠勢司(静銀前)神勢團(島田工場前)19時30分。隊列を組んで御仮屋へ出発。神勢團は、鯉と山の屏風絵を屋台正面に飾った。

SBSテレビ放送開始。

1961

 

昭和36

 

◎氏子総代

●年番(写真)前列左から、神)竹内歓次、門奈茂治/倭)秋山金吾/石神宮司/倭)鈴木清二郎/精)永田徳次、桑原勝/後列左から、笠)磯貝照治、鈴木ヨシジ/政)石牧、池田米治、犬塚義明、松下建具

 

◉政諾社 統監 池川英雄29歳、若連社長 岩本英一、門奈道夫、榎吉英司

1962

 

昭和37

 

◎氏子総代

●年番 中町 池田米治、木村徳衛、川合正二郎、松下吉雄、松本芳郎、石野隆

◉政諾社 若連社長 鈴木繁弘28歳、中津川志郎、馬塚義治、田辺一夫、池川英雄、高井輝浩、榎吉正幸、池田朝男。

最後に神輿の先頭の馬に乗ったのは、門奈剛一さんと桑原勝さん(桑原談)。

1963

 

昭和38

 

◎氏子総代

●年番 本町

◉政諾社 若連社長 馬塚義治29歳

神勢團は屋台を解体して修理。お囃子連は全町廃止。お神輿の先頭の馬を廃止した。

1964

 

昭和39

 

◎氏子総代

●年番 上町

◉政諾社 統監 石橋光生、若連社長 高柳長良、前川寿、副社長 坪井弘、鈴木建、池田欣哉、大村金光、鈴木真司、石川幸夫、杉本栄一、袴田保、高柳長良、袴田浩司、大石明、寺田晴夫、山下昌彦、鈴木健、山野肇、松田誠一郎、内山敬、池田真澄、鈴木重男、金田実、柳林弘

屋台行動は、16日は夜10時30分まで、17、18日は夜12時までと警察から通達。

東京オリンピック開催。新幹線開通。

1965

 

昭和40

 

◎氏子総代

●年番 中町 小栗孝一、榎吉英司、池川英雄、名倉善治、神谷良一、高井照浩

◉倭魂社 社長 山崎純三

◉政諾社 若連社長 松田誠一郎、伊藤金授、池田善久、菅沼利雄、池田政夫。

1966

 

昭和41

 

◎氏子総代

●年番 本町

◉政諾社 若連社長 鈴木憲、鈴木修二、小栗寛、鈴木新二

神勢團は屋台に車輪修理と舵を取り付ける。

1967

 

昭和42

 

◎氏子総代

●年番 上町

◉政諾社 若連社長 山下正通29歳、榎吉清光、山下成吾、波多野孝一

祭典日を土、日に変更してほしいと若連から要望あり。

笠井中火事。

1968

 

昭和43

 

●年番 中町 中津川志郎、菅沼利雄、高柳長良、池田朝男、長谷国弘、田辺一夫

◉統監 山田茂、寺田周弘、山下成吾 鈴木幸夫 加藤利二

◉政諾社 若連社長 島田英夫、日下部富孝、副社長 青島成和、小倉省一、島田英夫、大西勝三、内山章、坂田徳治、中村通利、田中清夫、林鷹司、川上哲時、大石健一郎、鈴木正夫、飯田初男、内山正利、鈴木孝昭

祭典時間は17日18日 午後6時~10時まで。交通規制。

7月17日笠井中が再度火事に(三度目)。東名高速道路、開通。

1969

 

昭和44

 

◎氏子総代

●年番 本町

◉政諾社 統監 大石健一郎、若連社長 堀内朝男、副社長 辻村功、鈴木良一、池田充義。

8月16日(金)、17日(土)、18日(日)に変更する。

神勢團は8月14日屋台綱切れた。屋台を引いていた子供数名が足に怪我。8月16日屋台から子供が落ち全治2週間の怪我あり。

4月 青和会創立 会長 竹内正治、副会長 鈴木健、鈴木眞司、松田誠一郎。浜松青年会議所に松田さん、田村さん、笠原さんは入会して活躍された。青和会とは兼務。

1970

 

昭和45

 

◎氏子総代

●年番 上町

◉政諾社 若連社長 西岡忠緒29歳、副会長 榎吉平之助、袴田清驀、高林繁樹、小杉一夫

8月14日(金)、15日(土)、16日(日)に改正。

屋台に保険をかける(前年度、子供がケガ)。浜北大橋開通。大阪万博開催。6月池友が火事。

1971

 

昭和46

 

◎氏子総代

●年番 中町 年番長 松田誠一郎35歳、鈴木憲34歳、小栗寛34歳、鈴木修二34歳、鈴木新二34歳、伊藤欽授

◉統監 小栗秀一、加藤正義、高柳二三男、袴田清驀、鈴木藤夫、飯田初男

◉社長 笠原雅弘、松下孟、渡辺顕時、大城克仁、名倉正孝、鈴木昭男

◉政諾社 副社長 秋山啓吾、高柳正芳、古木治良、鈴木勝三、三上成夫、小栗秀一、小栗勇隆、小杉一昭、磯部正男、鈴木晃、石川勝利、藤原正光、皆川昭一

交通規制18時~21時まで。天狗を年番がやるようになる。家が増えて、花火はスターマインがメインに。

県立東高校が笠井新田に開校。

1972

 

昭和47

 

◎氏子総代

●年番 本町

◉政諾社 若連社長 町田宗夫29歳、統監 金田大八29歳、佐藤順一、鳥井正明、佐藤昭夫、金田大八、鈴木辰美

道路許可は17時~21時30分

写真は笠勢司の若連。

沖縄日本復帰。

1973

 

昭和48

 

◎氏子総代

●年番 上町

◉政諾社 若連社長 鈴木辰美30歳、統監 町田宗夫、池田周弘、金田俊郎

緊急車両が通過できるように、道路許可は東片側のみとされた。

1974

 

昭和49

 

◎氏子総代

●年番 中町 年番長 山下成吾、山下正通36歳、島田英夫35歳、大石健一郎35歳、波多野孝一36歳、川上哲時35歳

◉政諾社 若連社長 大野雄一、統監 鈴木辰美、井口勝明

道路許可18時~21時30分。

1975

 

昭和50

 

◎氏子総代

●年番 本町 年番長

◉倭魂社 統監 寺田儀一 社長 川島清輔、平井正治 副 森下政洋、高柳清、米山守夫、秋山茂、宇田和義、中安茂夫、森重修二、大島昭二、田中清、長谷川一夫、加藤泰雄、源馬修一、小野力、中村道孝、鳥羽山悟、高橋和雄、井上、松島、山下、秋山。顧問 池田吉仁、坪井昴一、笠原祥一

◉精華團 統監 加藤厚、理事長 照井清一、西原光雄、副 竹本克己、渥美正二、高津誠、桑原考、吉田聡、大村一夫、市川衛、鈴木啓二、村田直庸、神谷考二、田地川正己、須貝恵、深谷正行、池田照光。顧問 平川昇一

◉政諾社 統監 井口勝明 社長 磯貝正明、副 松島勇一、大木清一、古木斉、小倉恒雄、池島保、高林幸夫、池島宗五、渥美茂、中村正義、秋山久武、葛西光彦、小杉孝行、加藤俊行、田辺茂美、小栗樹雄、田辺胃次、石野文明伊、藤伊三郎、袴田正美、鈴木敬三、島田敬一、山下泰史、鈴木吉広、杉本四郎、菅沼。顧問 大野裕

◉笠勢司 統監 河合章、社長 寺田博義、副 黒川勉、斎藤行雄、磯部順治、小栗和夫、村木徳夫、鈴木春茂、山下清、中野敏男、坂田茂、立花恒男、袴田一郎、小倉康次、岡本茂美、内山孝、大井克美、鎌田好勝、鈴木瑞穂、鈴木万里男、内山康夫、河合朗 顧問池 川文男、寺田昌弘、長谷川義和

◉神勢團 統監 柳林忠男、理事長 小栗文博、副 佐野喬茂、足立康一、河合利尚、鈴木明吉、神谷文博、池田和行、山下春雄、鈴木政美、鈴木邦太郎、高村正良、顧問 山田俊志、高井賢治、杉本靖男、伊藤慈楨、小倉充員、鈴木広、竹内重保、大村信雄、大橋孝幸、鈴木勲、原信雄、松下吉秀、竹内正広、市川太加夫、鈴木利幸、沢田詳右、鈴木良治、坂田明世、鈴木利和、大石五郎、鈴木克己、小田吉三、鈴木政春、若林秀幸、丹羽仁志、山下修、塚本和芳、鈴木秀次、増井俊夫、鈴木茂靖、白井孝行

神勢團屋台小屋新築。

1976

 

昭和51

 

◎氏子総代

●年番 上町 年番長 小倉省一36歳、坂田徳治37歳、臼井、川島庸夫35歳、田中清夫、高津昭司、奥島喜平、鈴木清、村木和見、島田英夫37歳、大石健一郎、池田充義36歳、袴田清驀35歳。

石神清宮司

◉政諾社 若連社長 大木清一、統監 磯貝正明、堀内俊明、大木清一、小倉恒雄。

8月16日雨、17日雨、綱の中で曳く。ビンをもって歩かない。腕章をつけて交通整理する。

11月 遠鉄ストア笠井店、開店。

1977

 

昭和52

 

◎氏子総代 古木勇

●年番 中町 年番長 池田充義37歳、袴田清驀、榎吉平之助、西岡忠緒、高林繁樹36歳、小杉一夫、奥島喜平、鈴木昭男35歳、伊藤伊佐夫36歳、鈴木清、田中清夫37歳、高津昭司

◉政諾社 若連社長 中村正義30歳、副社長 高林幸男

祭典を話しあう会を開催。

◎交通規制(19時から21時)神輿出発を19時30分にする(若連要望)。◎法被を着用しない者は参加不可。一般のお供を増やすのに背広でも可とする。(総代)◎多くの氏子に神社に参拝してもらうために16日に花火大会をする案が出たが17日に神輿の渡御で客を呼ぶので従来の方が良いとの総代の意見があり、17日に花火大会をすることに決定。年番は架設電話を導入。花火の目録を改善。白丁を依頼するのに苦労した。◎年番同志は、接待など当番社が多忙すぎるので、協力しあうように要請したところ賛同を得た。(年番長池田充義)

倭魂社屋台新築計画。

笠井公民館開設、浜松医大開院。

1978

 

昭和53

 

◎氏子総代

●年番 本町 年番長 鈴木昭男、伊藤伊佐夫、中町 高林繁樹、小杉一夫

◉倭魂社 統監 加藤春夫 社長 田中清、副 山下昭夫、高橋和男、中村道孝、井上修平、小野力、松島和之、源馬修一、米山守夫、川島清輔、宇田和彦、高柳清、長谷川一夫、鈴木孝、高林英俊、坪井義雄、秋山茂、森下政洋、平井政次

◉精華團 統監 渥美正二、理事長 大村一夫、副 桑原孝、吉田聡、川島直之、深谷正行、加藤修、池田照光、沢木優、松島明彦、磯部明人、中安孝一、神谷孝二、田地川和幸、大軒茂之、小林孝之、大村覚男、大村慎司、竹内勲、福代善彦、顧問 竹本克己、照井清一、堀内聡

◉政諾社 統監 北島宗吾、社長 小栗樹雄、副 加藤俊光、内藤雅義、田辺茂美、相沢徹、石野文昭、伊藤伊三郎、鈴木利久、高林昭男、伊藤茂文、中谷勝、池田定明、松本是之、秋山文彦、顧問 中村正義、高林幸夫、杉本四郎、島田敬三、袴田正美、山下泰史

◉笠勢司 統監 村木徳男、社長 小栗和夫、副 鈴木春茂、山下清、袴田一郎、内山孝、岡本茂美、坂田茂、小栗勘治、小倉康次、大井克美、内山康雄、鈴木茂、鈴木善晴、武内巌、伊藤卓二、顧問 中野敏男、磯部淳治

◉神勢團 統監 鈴木邦太郎、理事長 竹内重保、副 高林正良、鈴木広、鈴木政春、鈴木勲、大橋孝幸、小田吉三、松下吉秀、大村幸夫、原信雄、足立均、沢田洋右、鈴木秀次、山下修、飯田明世、丹羽仁志、坪山龍也、若林秀幸、鈴木利和、竹内正広、鈴木克己、島田淳、鈴木松一、鈴木正美、石神幹夫、鈴木博、山崎克己、顧問 池田和行、神谷文博、鈴木政美、鈴木利幸、山下春雄、増井俊夫

倭魂社屋台新築(一層唐破風檜造り)早川真匠造

若林の村木和見さんは、この年より神輿の供を令和4年現在もずっと続けている。道路許可は、本通りは練り、踊りは禁止。許可は午後6時から9時まで。

1979

 

昭和54

 

◎氏子総代

●年番 上町 年番長 中町 鳥井正明、鈴木辰美、町田宗夫、金田大八

◉統監 小栗樹雄、高柳清、大村一夫、加藤俊光、磯部淳治、高林正良

◉若連社長 小杉孝行、田中清、山下昭夫、桑原孝、山下清、鈴木春茂、鈴木博

◉副社長 高橋和雄、神谷孝二、田辺茂美、内藤雅義、袴田一郎、内山孝、鈴木政春、沢田洋右

1980

 

昭和55

 

◎氏子総代

●年番 中町 年番長 笠原雅弘、町田宗男、鳥井正明、小栗秀一、佐藤順一、佐藤昭夫

◉政諾社 若連社長 田辺茂美、統監 小杉孝行

春日社屋台新築(一層唐破風桧造り)町内の手造り。

1981

 

昭和56

 

◎氏子総代

●年番 本町 年番長

◉統監 田辺茂美、沢木優

◉若連社長 相沢徹、神谷孝二

1982

 

昭和57

 

◎氏子総代

●年番 上町 年番長

◉倭魂社 統監 高橋和男、社長 小野力、副 源馬修一、源馬正彦、渡辺利光、島田孝幸、高村恒司、石津正、高林英俊平井政治、加藤春夫、森下政洋、前川晴彦、河合成俊、今井重徳、田辺好志、夏目康博、吉田勲、鳥羽山豊小嶋直之、池谷勝広、顧問 中村道孝、長谷川一夫、井上修平、川島清輔、田中清、秋山茂

◉精華團 統監 神谷孝二、理事長 加藤修、副 相場利光、池田照光、大村覚男、大村慎司、川島直之、小林孝之国井一伸、桑原利昭、川島成之、福代善彦、鈴木正弘、大椙廣幸、顧問 桑原孝、大村一夫、沢木優

◉政諾社 統監 小杉孝行 社長 伊藤伊三郎、副 相沢徹、松本是之、伊藤嘉員、池島武彦、安藤寛、鈴木一正、山下智之袴田正志、中谷勝、山下敏彦、池田定明、栗田初雄、寺田道行、藤田孝明、松島年穂、杉山睦夫、山下浩之小栗実、松本智明、右島浩之、池田周弘、小栗治彦、田地川浩之、堀内昭次、池川知博、伊藤英立、顧問 加藤俊光、小栗樹雄、田辺茂美、内藤雅儀

◉笠勢司 統監 内山孝、社長 袴田一郎、副 小倉康次、竹内晴彦、大井克美、内山康雄、武内巌、鈴木善晴、伊藤卓二永井哲雄、山下昌彦、岡本修、岡本克美、鈴木正俊、鈴木隆仁、顧問 鈴木晴彦、中野敏男、村木徳男、小栗和夫、山下清

◉神勢團 統監 若林秀幸、理事長 松下吉秀、」副 原信夫、鈴木利和、鈴木松一、鈴木博、竹内正広、足立均山下修、鈴木清七、山下修、鈴木正己、鈴木克己、竹内弘之、清水孝司、嶋田淳、大塚康広、坂田充弘、藤田義博、鈴木昌之、顧問 小田吉三、高林正良、鈴木広、鈴木政春、大橋孝幸、沢田洋右、大村幸夫、鈴木勲

政諾社屋台新築の件で松本是之、相沢徹君が池田充義に相談に来た。福来寺に住民を集め説明会を開いた。全員賛成で決定。建設委員長 影山國一、事業部長 犬塚儀明、(松本芳郎、榎吉正幸、島田圭司)、財務部長 松田誠一郎、(小栗寛、波多野孝一、門奈道夫)、総務部長 池田充義、(中津川志郎、石野隆、榎吉平之助)、顧問 初村佐一、鈴木憲が選出。

1983

 

昭和58

 

◎氏子総代

●年番 中町 年番長 秋山久武、小倉恒雄、磯貝正明、袴田正美、松島勇一、大木清一

◉政諾社 統監 伊藤伊三郎、社長 袴田正志

政諾社屋台新築(一層唐破風総欅造り/小池工務店 小池清、彫刻 鈴木嘉一)。

笠井公民館体育館完成。

1984

 

昭和59

 

◎氏子総代 池田譲、高林駒吉、鈴木康平

●年番 本町 年番長 磯貝正明38歳、小倉恒雄、大木清一、袴田正美、秋山久武38歳

◉政諾社 統監 袴田正志、若連社長 安藤寛

春日神社本殿参道の鹿像が復活。太平洋戦争中の1942年に発動された、金属類回収令により無くなっていた鹿の銅像が若林の有志により再建されました。5月吉日寄贈(寄付者:若林利夫、村木和見、鈴木与士夫、鈴木やすゑ、鈴木基司、鈴木政春、鈴木政治、鈴木 強、鈴木武次、鈴木修三、鈴木 清、鈴木喜代治、神谷茂三郎、石神 清)

1985

 

昭和60

 

◎氏子総代 池田譲、高林駒吉、鈴木康平

●年番 上町 年番長

◉政諾社 統監 安藤寛、若連社長 中谷勝

1986

 

昭和61

 

◎氏子総代 池田譲、高林駒吉、鈴木康平

●年番 中町 年番長 古木斉、山下泰史、相沢徹、田辺茂美、内藤雅義

◉政諾社 統監 中谷勝、若連社長 松本是之、伊藤孝之、池田定明

笠井町ヨシヤ家具火事

1987

 

昭和62

 

◎氏子総代 池田譲、高林駒吉、鈴木康平

●年番 本町 年番長

◉政諾社 統監 松本是之、若連社長 伊藤義員、中谷勝、藤井一三、袴田博之、池田定明、鈴木一正、安藤寛、犬塚俊雄、栗田初雄、寺田道之、松島年穂、藤田孝明、名倉孝之、小栗実、間淵晴美、松本智明、右島浩之、田地川浩之、杉山睦実、伊藤英立、門奈浩之、伊藤充利、杉山英之、伊藤吉行、池沼光宏、大石幸二、池田敦司、中村茂、伊藤伊三郎

4月天満宮百年祀り寄付者39名 金362,000円。燈籠と幟を新調。

1988

 

昭和63

 

◎氏子総代 池田譲/小杉均(上)、山下重男(西)、高林駒吉/鈴木桂一(中)、鈴木康平/鈴木武次(本)

●年番 上町:年番長 山下昭夫、高橋和男、中村道孝、沢木優、桑原孝、夏目康博/西の山:市川信義、藤田正衛/中町:相沢徹、高林於左武、田辺茂美、加藤修/本町:山下清、内山孝、高林正良、鈴木勲 

◉若連社長 鈴木勝博(倭)、桑原利昭(精)、市川和孝(西)、池田定明(政)、鈴木茂(笠)、鈴木清七(神)

◉統監 高林英俊(倭)、国井一伸(精)、大石仲一(西)、中村幹夫(政)、竹内昭彦(笠)、嶋田淳(神)

1989

 

昭和64

 

平成元年

1月7日 昭和天皇崩御

◎氏子総代 池田譲、高林駒吉、鈴木康平

●年番 中町 年番長 高林修、副年番長 加藤修、安藤寛、兼岡静雄、長谷川正吉、中村幹夫

◉政諾社 統監 池田定明、若連社長 松島年穂、副 寺田道之、栗田初雄、小栗実、松本智明、門奈浩之、伊藤吉行、右島浩之、田地川浩之、杉山睦実、杉山英之、池田啓司、鈴木福二、井本浩之、菅沼信夫、犬塚俊雄、名倉孝之、伊藤充利、国本和裕、池田敦司、伊藤英立 堀内元、長田和彦、馬淵晴美、顧問 安藤寛、中村幹夫、松本是之、中谷勝、伊藤嘉員、藤井一三、袴田博

大提灯2基新調(中島忠司、松下幸夫、金田やす。松本芳郎、中村甲治、犬塚義明、 青島笹雄、石埜はつ、池川武雄、田代賢治、平野はな、平野きよ子、小野タキエ、袴田信重、砂子力)。白丁がお神輿を担ぐのは本年で終了。

1990

 

平成2

 

◎氏子総代 池田譲、高林駒吉、鈴木康平

●年番 本町 年番長

◉政諾社 統監 松島年穂、若連社長 栗田初男

稚児行列が輿車に乗せたお神輿を曳く。スタイルが始まる。

 

 

 

神勢団屋台新築。二層唐破風入母造り。(小池工務店/彫刻・早瀬宏)

1991

 

平成3

 

◎氏子総代 池田譲、高林駒吉、鈴木康平

●年番 上町 年番長

◉政諾社 統監 栗田初男、若連社長 寺田道之、副 小栗実、杉山睦実、池田敦司、川上高男、鈴木福二、松本智明、伊藤吉行、右島浩之、田地川浩之、池田啓司、井本浩之、菅沼信夫、名倉孝之、伊藤充利、国本和裕、伊藤英立、長田和彦、馬淵晴美、池沼光宏、森下素行、清水孝、滝和紀、川上広市、氏原一平、市原巌、山本徹也、顧問 松本是之、中谷勝、伊藤嘉員、藤井一三、袴田博之、池田定明、松島年穂

西魁団屋台新築(一層唐破風桧造り)寺田建築/彫刻・志村孝士

春日神社祭典は8月14日・15日・16日に決定。

1月10日 笠井町100周年記念 笠井商店会は元ヤオハンで「だるま展などを開催」

1992

 

平成4

 

◎氏子総代 池田譲、高林駒吉、鈴木康平

●年番 中町 年番長 松本是之、池田定明、伊藤孝之、中谷勝

◉政諾社 統監 寺田道之、若連社長 小栗実副、杉山睦実、田地川浩之、松本智明、川上広市、池田敦司、門奈浩之、川上高男、鈴木福二、伊藤吉行、井本浩之、菅沼信夫、長田和彦、顧問 松島年穂、栗田初雄

笠勢司の屋台人形「織田信長」が最後となった。

祭典本部は暴走族が文泉堂の四つ角を占拠していたのでおびや駐車場を使用。

1993

 

平成5

 

◎氏子総代 池田譲、高林駒吉、鈴木康平

●年番 本町 年番長

◉倭魂社 統監 門奈孝之、社長 和田浩伸

◉精華團 統監 守屋文雄、理事長 犬塚直啓

◉西魁団 統監 中安克実、社長 山内久司

◉政諾社 統監 小栗実、社長 杉山睦実

◉笠勢司 統監 伊藤雅樹、社長 川合真一

◉神勢團 統監 冨田年彦、理事長 鈴木良彦

◉春日社 統監 榊原直也、社長 大澤力弥

春日社が笠井まつりに参加。

笠勢司屋台新築、棟梁(有)安間工務店。旧屋台は渡瀬町で浜松祭にも参加している。

1994

 

平成6

 

◎氏子総代  池田譲  高林駒吉、 鈴木康平

●年番 上町 年番長

◉政諾社 統監 杉山睦美、若連社長 右島浩之

精華團屋台新築(一層唐破風桧造り)。大工・大城勝久、彫士・雨宮國雄。神輿の供(池田充義 初、山下吉十22年目、村木和巳17年目、石神勲、伊藤伊佐夫)。

(池田充義 談)白丁が神輿を担ぐ。重たい肩に食い込む。ゆっくりと下駄で歩く。あまりに遅いので、結構疲れる。池田の家紋入り提灯に榊を持ち、道路の真ん中を歩く。道路の両側には、座っている人の列。神輿が通過するときは頭を下げる。天狗が大榊で家内安全をお祓いして先頭を歩く。屋台が提灯をかざし神輿行列の後ろに並んでいる光景は、この場所でないと見ることができない。壮観な夜空。近隣では、類を見ない笠井祭は凄いと感じた。

明治15年(1882年)造りの黄金の神輿は112年続いている。池田充義は54歳神輿のお供に羽織袴下駄白足袋烏帽子の正装で参加した。山下吉十さんはこの時点で22年目のお供をしている。

1995

 

平成7

 

◎氏子総代 池田譲、久島實、金田吉夫、鈴木政治

●年番 中町 年番長 栗田初雄、小栗実、松島年穂、寺田道之、三室正義、袴田成俊

◉政諾社 統監 右島浩之、若連社長 松本智明

政諾社屋台小屋移動。大木工務店が工事。精華團屋台新築(棟梁 大城勝久、彫刻 雨宮國雄)

池田充義は神輿の供に正装で初参加。山下吉十22年、村木和見17年継続中

1996

 

平成8

 

◎氏子総代 池田譲、中川巳一、木村徳衛、久島實、柴山寅義、金田吉夫、鈴木政治

●年番 本町 年番長

◉政諾社 統監 松本智明、若連社長 門奈浩之

9月25日移動、10月12日神輿解体。塗り直す。(神輿には明治十五年五月十日棟梁・加藤文二郎の記あり)

1997

 

平成9

 

◎氏子総代 池田譲、中川巳一、木村徳衛、久島實、柴山寅義、金田吉夫、鈴木政治

●年番 上町 年番長 栗田初雄、小栗実、松島年穂、寺田道之、三室正義、袴田成俊

◉政諾社 統監 門奈浩之、若連社長 伊藤吉行

1998

 

平成10

 

◎氏子総代 池田譲、中川巳一、木村徳衛、久島實、柴山寅義、金田吉夫、鈴木政治

●年番 中町 年番長 杉山睦美、石野昭彦、松田和敏、滝欣也、松下智之/(精)犬塚直啓、桑原利昭/(笠)岡本克美、川合真一/(神)冨田年彦、青柳孝/(倭)高林英俊、大村孝寿/(西)中野敏彦、湯口伸吾

◉政諾社 統監 伊藤吉行、若連社長 田地川浩之

春日神社稚児行列参加資格の変更/従来の笠井町在住の小学校二年生女児から下記に変更。

新資格:故郷が笠井町出身で他地区に在住の方、親戚や友人が笠井町にある方、笠井上町や笠井新田町在住の方の小学校二年生女児。(これより稚児行列参加人数増加が期待できる)

稚児行列参加ポスター作成。「笠井まつり」ポスターとは別に、「稚児行列参加」ポスターを作成し参加資格の変更と募集内容を広く提示。(春日神社稚児担当冨田年彦と京都(株)井筒が協力して作成。

1999

 

平成11

 

◎氏子総代 池田譲、中川巳一、木村徳衛、久島實、柴山寅義、金田吉夫、名倉長市。石神清宮司

●年番 本町 年番長 岡本克美、鈴木正俊(油屋)、加藤伸司、川合真一/(西)湯口伸吾、増田晃久、犬塚強志/(神)冨田年彦、青柳孝、長谷川敏明/(倭)大村孝寿、前川晴彦、今井重徳/(精)桑原利昭、高橋章/(政)松下智之、石野明彦、高木英俊

◉政諾社 統監 伊藤吉行、若連社長 堀内元

春日神社祭典について、お神輿渡御の役割の再興と学習をした。

大祭役割の内、御供櫃と小鉢を復活。御供櫃と小鉢の各2名で計4名の衣装を(株)井筒と相談、雑色衣装(退紅色)を新調。小鉢衣装は若武者装束とした。年番長と副年番長に烏帽子に金色の細い帯を縫いつけ誰でも解るようにした。春日神社の祭日用語を解説し文章化。大祭の役割分担の文章化、渡御衣装名の文章化。

神社紋(大久保藤の確認)の確認。

春日神社祭典で「お守り札」「鈴」「絵馬」「キーホルダー」「ストラップ」を仕入れて年番主導で販売。(計30種類)

FMHaroの「MY PURE LIFE」(パーソナリティー)鈴木静華)「週末おでかけガイド」副年番長冨田年彦が出演して「笠井まつり」をPR。

12月2日中町公会堂落成式

2000

 

平成12

 

◎氏子総代 池田譲、中川巳一、木村徳衛、久島實、柴山寅義、金田吉夫、名倉長一

石神清宮司

●年番 上町 年番長 今井重徳、副年番長 高橋章、前川晴彦、田辺好志、高橋章、山下浩之、増田晃久、犬塚強志、鈴木健市/中町 石野昭彦、高木英俊、山下智之、鈴木章好/本町 加藤伸司、鈴木正俊、長谷川敏明、斎藤元彦、坂田充弘

◉政諾社 統監 堀内元、若連社長 山下明伸

春日神社禮大祭のすべてを撮影。写真担当・山下智之(協力:笠井ぴんぼけ倶楽部、郷土の歴史と文化を学ぶ会)。

8月16日法永寺火災全焼。22分団は法被のまま現地へ直行。村木千代八は号令をかけて堂内の大切な荷物を外へだすように奮闘。荷物は葵会館へ収納。

2001

 

平成13

 

◎氏子総代 池田譲、中川巳一、木村徳衛、久島實、柴山寅義、金田吉夫、名倉長一

石神清宮司

●年番 中町 年番長 山下智之、榎吉康博、中津川

◉政諾社 統監山下明伸、若連社長 武田征巳

2002

 

平成14

 

◎氏子総代 池田譲、鳥羽山立、木村徳衛、小栗寛、門奈道夫、金田吉夫、名倉長市

●年番 本町 年番長(羽鳥屋)

◉政諾社 統監 武田征巳、若連社長 菅沼貴久

(4月から9月)春日神社社務所の設計で協議。建設委員会会長 池田譲、副会長 久島實、総務特別会計 金田吉夫、建設管理委員長 名倉長市、副委員長 山下智之、兼建設会計 小栗寛、兼監査役 木村徳衛、委員鳥 羽山立、門奈道夫、当番年番長 小島直之、当番副年番長 中野成規、第八自治会長 長谷川幸次、第八副自治会長 中野誠一、第三自治会長 高林七郎、鈴木武次、鈴木政次、竹内鉄雄、若林利夫、鈴木廣、鈴木基司

2003

 

平成15

 

◎氏子総代 池田譲、鳥羽山立、木村徳衛、小栗寛、門奈道夫、金田吉夫、名倉長市

宮司 石神清

●年番 上町 年番長 小島

◉政諾社 統監 菅沼貴久、若連社長 滝和紀

春日神社社務所新築工事(3月12日~7月31日)竹下一級建築士事務所。施行 伊藤建築 伊藤三喜男(7月15日完成)

2004

 

平成16

 

◎氏子総代 池田譲、鳥羽山立、木村徳衛、小栗寛、門奈道夫、金田吉夫、名倉長市

●年番 中町 年番長 池田大、伊藤吉行、堀内元、岩田芳弘、武田征巳/(倭)小栗丈知、鳥羽山豊/(精)小嶋、江川/(笠)高林卓司、後藤/(神)野澤、鈴木基司、鈴木哲也/(西)皆川、大村

◉政諾社 統監 菅沼貴久、若連社長 榎吉信博

祭典本部 中町伊藤伊佐夫敷地を使用。祭典ポスターに、広告をつけた。

8月16日屋台集合場所変更。丸二酒店から御仮屋の東までに屋台を詰めて止めた。

2005

 

平成17

 

◎氏子総代 池田譲、小野釥 、森下進一、小栗寛、門奈道夫、金田吉夫、名倉長市

●年番 本町 年番長 高林卓司

◉政諾社 統監 榎吉信博、社長 川上浩市

最終日は神輿を納めた後、全屋台が春日神社前に集合して、年番長の挨拶のあと激練りをして解散。

2006

 

平成18

 

◎氏子総代 山崎純三、小野釥 、小野隆一、小栗寛、門奈道夫、池田真澄、名倉長市

●年番 上町 年番長 市川徹

政諾社 統監 川上浩市、若連社長 池川宏澄

春日神社外周の石垣と石塔が名入れで完成。

2007

 

平成19

 

◎氏子総代 山崎純三、小野釥 、小野隆一、小栗寛、門奈道夫、池田真澄、名倉長市

●年番 中町 年番長 池田正樹

政諾社 統監 池川宏澄、若連社長 佐藤佳史

浜松市が政令指定都市となる。西の山公会堂 建設委員長 鈴木和平。

2008

 

平成20

 

◎氏子総代 山崎純三、小野釥 、小野隆一、小栗寛、門奈道夫、池田真澄、岩崎秀夫

●年番 本町 年番長 菅沼紳一郎

◉政諾社 統監 佐藤佳史、若連社長 遠藤一重

お神輿8月15日(18時45分~20時着)、8月16日(19時20分~20時30分)。本通りの餅まき禁止。

2009

 

平成21

 

◎氏子総代 山崎純三、高津昭司 、川合三男、小栗寛、高柳多一、石神勲、岩崎秀夫

宮司 石神清

●年番 上町 年番長 渡辺桂

◉統監(倭)前川恭輝、(精)鈴木心、(西)新村範和、(政)遠藤一重、(笠)磯貝隆行、(神)中津川良春、(春)鈴木悦司

◉社長・理事長(倭)島田勝利、(精)山崎剛、(西)関口秀昭、(政)大木剛、(笠)中野雅章、(神)加藤智大、(春)渥美敬吉

2010

 

平成22

 

◎氏子総代 坂田徳治、高津昭司、川合三男、小栗寛、神谷良一、石神勲、岩崎秀夫

●年番 中町 年番長 浅倉登志雄、國井均、飯塚和夫、村木規利、榎吉信博、藤森正美、袴田光義

◉政諾社 統監 大木剛、若連社長 川本博之

2011

 

平成23

 

◎氏子総代 坂田徳治、高津昭司、川合三男、小栗寛、神谷良一、石神勲、飯田初男

●年番 本町

◉政諾社 統監 川本博之、若連社長 佐藤晃史

3月東日本大震災。浜松祭など祭事が各地で中止。

2012

 

平成24

 

◎氏子総代 坂田徳治、小倉省一、河合真司、小栗寛、神谷良一、伊藤伊佐夫、飯田初男

●年番 上町 年番長 前川恭輝、島田勝利、西村嘉晃/(精)副年番長 是永剛、鈴木心/(西)小池晃、新村範和/(政)池野孝生、榎吉信博、田邊一巳、長森基樹/(笠)青木誠、鈴木勝/(神)村木雅人、中津川良春、鈴木大介

◉統監(倭)川島龍、(精)近藤英晴、(政)佐藤晃史、(笠)磯貝隆行、(神)田邊敏勝、(西)寺田基伸、(春)大城哲治

◉社長・理事長(倭)松島寛信、(精)袴田倭之、(西)鈴木秀人、(政)池田大、(笠)中野公博、(神)大橋達弥、(春)石津勝教

「笠井まつり」第1回パンフレット発行。

未来への贈り物プロジェクトで、1年間かけて笠井連合会地域のすべての行事を写真撮影。

2013

 

平成25

 

◎氏子総代 川嶋庸夫、小倉省一 、河合真司、小栗寛、波多野孝一、伊藤伊佐夫、飯田初男

●年番 中町 年番長 池野孝生、副年番 田邊一己、榎吉信博、長森基樹、西山徹、小池直也/(笠)中野雅章、鈴木勝/(春)加藤智大、鈴木大介、中津川良春/(西)新村範和

◉統監(倭)松島寛信、(精)袴田倭之、(西)大平真也、(政)池田大、(笠)中野公博、(神)大橋達弥、(春)石津勝教

◉社長・理事長(倭)水野健太郎、(精)池田正孝、(西)関口秀昭、(政)秋山英正、(笠)岡本純、(神)高村勇次、(春)太田明彦

8月15日政諾社は昼間、春日神社へ向かう前に西の山定明寺東側に変更。初めて西の山に屋台が6台揃った

家康君は政諾社屋台と一緒に台車に乗って御仮屋へ渡御のお供をする。途中で遠信の前で、寸劇をした。

2014

 

平成26

 

◎氏子総代 川嶋庸夫、小倉省一、河合真司、小栗寛、波多野孝一、伊藤伊佐夫、嶋田順一

●年番 本町 年番長 中野雅章、鈴木勝、佐藤淳/(春)副年番長 加藤智大、山崎史佳、小栗繁太郎/(倭)西村嘉晃、川島龍、門奈孝之/(精)砂子均、関谷進/(西)山下隆彦、関口秀昭/(政)小池直也、西山徹、岩品好和、平川知行

◉統監(倭)水野健太郎、(精)池田正孝、(西)鈴木秀人、(政)秋山英正、(笠)名倉邦典、(神)高村勇次、(春)太田明彦

◉社長。理事長(倭)森下泰之、(精)林 友行、(西)園川和之、(政)小林伸行、(笠)岡本純、(神)大橋弘嗣、(春)又平誠

元 笠井郵便局を池田 大が再生。

2015

 

平成27

 

◎氏子総代 川嶋庸夫、小倉省一、長谷川義和、小栗寛、波多野孝一、加藤有是、嶋田順一

宮司 石神清、禰宜 石神好洋

●年番 上町 年番長 川島龍、門奈孝之、松島寛信/(精)関口進、鈴木明生/(政)岩品好和、平川知行、濱崎克志、牛田浩之/(笠)佐藤淳、磯貝隆行/(春)山崎史佳、小栗繁太郎、田邉俊勝/(西)関口秀昭、桑原宏充、

◉統監(倭)森下泰行、(精)林友行、(西)園川和之、(政)小林伸行、(笠)名倉邦典、(神)大橋弘嗣、(春)又平誠

◉社長・理事長(倭)島田勝彦、(精)山崎浩、(西)袴田浩介、(政)鈴木重史、(笠)岡本純、(神)鈴木健文、(春)鈴木雅巳

2016

 

平成28

 

◎氏子総代 生熊勝喜、飯田忠男、長谷川義和、小栗寛、内藤雅義、加藤有是、嶋田順一

宮司 石神清、禰宜 石神好洋

●年番 中町 年番長 牛田浩之、副年番長 岩品好和、平川知行、鈴木真也、鶴田智武、笠原裕二/(倭)門奈孝之、松島寛信/(精)鈴木明生、上田勝志/(笠)磯貝隆行、名倉邦典/(西)桑原宏充、寺田基伸/(春)田邉俊勝、大橋達弥、高村勇次

◉統監(倭)島田勝利、(精)山崎弘、西)袴田浩介、(政)鈴木重夫、(笠)中野公博、(神)鈴木健文、(春)鈴木雅也

◉社長・理事長(倭)森下晃次、(精)石川賢太郎、(西)小山晃正、(政)内村岳史、(笠)岡本雄也、(神)水野由也、(春)古川博章

8月15日、本町休憩所にて豪雨、渡御中止。稚児と招待者をバスで春日神社まで送った。年番はずぶぬれになって御仮屋までお神輿を曳いていった。笠井街道に人がいなかった。春日神社 禰宜 石神好洋が祭事を行う。

2017

 

平成29

 

◎氏子総代 生熊勝喜、飯田忠男、長谷川義和、小栗寛、内藤雅義、加藤有是、若林秀幸

●年番 本町 年番長 名倉邦典、磯貝隆行、中野公博/(倭)松島寛信、森下泰行/(精)上田勝志、林友行/(政)竹原裕二、鶴田智武、鈴木真也、嶋田哲也/(神)副年番長 高村勇次、大橋達弥、鈴木健文/(西)寺田基伸、鈴木秀人

◉統監(倭)森下晃、(精)石川賢太郎、(西)小山晃生、(政)内村秀幸、(笠)岡本純、(神)水野由也、(春)古川博章

◉社長・理事長(倭)渡邊健太郎、(精)石川高雄、(西)齋藤吉明、(政)藤沢和範、(笠)岡本純、(神)鈴木健文、(春)浦中亮輔

政諾社は「牡丹」の額、市松提灯でLEDを使用し昔の光を再現。

笠井春日神社の古書4冊をまとめ春日神社社務所に収める。編集 池田大、解読 村木千代八、書類編集 池田充義。

2018

 

平成30

 

◎氏子総代 生熊勝喜、飯田忠男、新井太郎、小栗寛、内藤雅義、寺田博義、若林秀幸

宮司 石神清、禰宜 石神好洋

●年番 上町 年番長 森下泰行、市川徹、前川恭輝/(精)副年番長 林友行、山崎弘、足立昌昭/(政)川本博之、小林伸行、嶋田哲也、濱崎克志/(笠)中野公博、青木利雄/(春)鈴木健文、大橋弘嗣、佐藤孝之/(西)鈴木秀人、足立昌昭

◉統監(倭)渡邊健太郎、(精)石川高雄、(西)齋藤吉明、(政)竹原裕二、(笠)岡本純、(神)竹内誠一郎、(春)浦中亨輔

◉社長・理事長(倭)島田勝彦、(精)山崎浩、(西)袴田浩介、(政)鈴木重史、(笠)岡本純、(神)鈴木健文、(春)鈴木雅巳

8月15日雨天中止 16日は小雨決行した。4月津島神社、改修。

11月福来寺へ中谷洋裁店解体し返還整地、「市神様」の祭事は来年からこの地で行う。歴史看板建てる。

2019

 

平成31

 

令和1

◎ 氏子総代 松島知之、照井清一、新井太郎、小栗寛、秋山久武、寺田博義、若林秀幸

宮司 石神清、禰宜 石神好洋

●年番 中町 年番長 川本博之、副年番長 小林伸行、嶋田哲也、浜崎克志、深澤伸介、堀之内克喜/(笠)中野公博、青木利雅、名倉邦典/(神)大橋弘嗣、佐藤隆之、水野由也/(倭)西村嘉晃、鳥羽山豊/(精)山崎弘、池田正孝/(西)足立昌昭、大平真也

◉統監(倭)池田真吾、(精)河島直久、(西)袴田浩介、(政)相澤徹也、(笠)岡本雄也、(神)大橋達弥、(春)松本知也

◉社長・理事長(倭)池谷修司、(精)柳林峰房、(西)袴田浩介、(政)河合明諭、(笠)永井慎也、(神)鈴木真吾、(春)藤森孝敏

2月28日(春日神社大祭と神輿渡御)浜松地域遺産・民俗無形文化財に認定。

市神様の祭事を福来寺境内で行う(餅を配布)。6月だるま市保存会会長 田村慈治就任。

2020

 

令和2

 

◎氏子総代 松島知之、照井清一、新井太郎、小栗寛、内藤雅義、寺田博義、伊藤茲楨

●年番 本町 年番長

コロナ禍で8月15日は炎天下、お神輿と宮司を軽自動車に乗せ、総代と年番は徒歩で、西浦通りを渡御。

8月16日も炎天下の中、東浦通りを還御。

コロナが世界中で流行。祭典は、浜松祭りなど各所中止。甲子園、大相撲、サッカー、野球など中止や延期。

オリンピック2021年7月に延期と決定。

2021

 

令和3

 

◎氏子総代 松島知之、照井清一、新井太郎、小栗寛、秋山久武、寺田博義、伊藤茲楨

屋台の引き廻しは中止。

神輿渡御は、8月15日18時出発→第八山崎家駐車場(給水)→笠勢司屋台置き場→中町自治会池田家駐車場→田中酒店前→天満宮(19時着)。8月16日18時出発→第二自治会(給水)→中町自治会(給水)→おおるり笠井→第三自治会須山家(給水)→春日神社(19時着)

2022

 

令和4

 

◎氏子総代 松島知之、照井清一、新井太郎、小栗寛、秋山久武、寺田博義、伊藤茲楨

屋台の引き廻しは各町内まで。各町内で神輿の渡還御を見守る。

神輿渡御は、8月15日18時出発→第八山崎家駐車場(給水)→笠勢司屋台置き場→中町自治会池田家駐車場→田中酒店前→天満宮(19時着)。8月16日18時出発→第二自治会(給水)→中町自治会(給水)→おおるり笠井→第三自治会須山家(給水)→春日神社(19時着)

2023

 

令和5

 

◎宮司/石神好洋

◎氏子総代 本町/岡本修、春日町/神谷丈博、上町/寺田良蔵、住吉町/磯部明人、西の山/鈴木晴道、仲町/小栗寛、仲町/秋山久武

◎年番 本町/岡本純(年番長)、松永東、寺田隆之、春日町/鈴木信吾(副年番長)、神谷直靖、福地和也、上町/源馬利弘、池田真吾、渡邊健太郎、住吉町/柳林峰房、袴田和之、西の山/齋藤吉明、中道元則、仲町/秋山英正、吉田和重、田中知将、長森基樹

◎統監 笠勢司/鈴木悠介、神勢團/高井慶紀、倭魂社/前川恭輝、精華團/白井威織、西魁団/松島隆一郎、政諾社/池島健太、春日社/角皆晴彦

◎笠勢司/理事長/名倉秀太、神勢團/理事長/高井聡紀、倭魂社/社長/山下陽、精華團/社長/石川高雄、西魁団/社長/長谷川角弥、政諾社/社長/酒井秀樹、春日社/社長/大橋崇人

コロナ禍を乗り越え4年振りに、通常開催。15日は大雨のため祭を自粛、若連は町内や隣町との交流となった。16日午前中から神事をすませ、お神輿は神主と年番の誘導で御仮屋まで渡御。

夜は予定通り、正式な行列で、お稚児さんや若武者などと還御。屋台が御供について若連の練りが入った。

 

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