観光山 福来寺 由緒

歴史

大同年間(806年頃)麁玉川が氾濫し一面が泥沼化された。その中で毎夜何か光るものがあり、そこで村人は90cmほどの木彫の観音様を拾いました。井戸の水で泥を洗い、福来寺の楠の根本に安置して、笠をかぶせて雨をしのぎ、お花を飾り大切にしました。麁玉川の氾濫は静まり、畑がよみがえりました。その後、笠冠り観音様と呼んで人々は大切にしてきました。いつしか笠井の観音様と呼ぶようになりました

聖観世音菩薩

宝物

福来寺の御本尊(釈迦如来)

観音様の厨子

緒賓頭盧(おびんずる)さま

弘法大師

菅原道真

遠江西三十三處観音霊場 御詠歌 天ヶ下 たずねまいれば 遠江 笠井の里に 深きめぐみを
施主 榎吉氏

大正4年9月吉日 奉納 願主 杉田清七  杉田つる

明治44年4月 御開帳 寄贈者 宣徳製大灯篭一対 天産物貿易商同業者横浜 長岡佐介/和田 鈴木徳三郎/浜松 丸市運送店/浜松 加藤銀次郎/横浜 京野うら/横浜 和田卯吉/横浜 上光七五郎/横浜 服部始之進/中泉 島木郎/本  中田清吉/遠藤 次/野口喜次郎/横山小十/加藤栄之助/島山愛助/発起人 笠井 池田幸太郎 大島庄吉 小栗弥市 福川善九郎 山下又八 島田嘉七 内藤幾吉郎

西暦和暦出来事
806大同元年

麁玉川が氾濫し一面が泥沼化された中に毎夜光るものがあり、それは三尺(90cm)ほどの木彫の観音様でした。井戸の水で泥を洗い、楠の根本に安置して笠をかぶせて雨をしのぎ、大切にしました。麁玉川の氾濫は静まり、畑がよみがえりました。その後、笠冠り観音様と呼んで人々は大切にしてきました。いつしか笠井の観音様と呼ぶようになりました。

1624寛永元年浄土宗・観光山・福来寺開創と歴史の本に記述あり。
1648慶安元年徳川家光の晩年の頃、浜松城主 太田備中守資宗(おおたびっちゅうのかみすけむね)は笠井本通りで行っていた市に、肴町商人が海産物を、塩町商人は塩を出張して販売することを許可。二俣、金指、森、見付と周辺の商人が特産物を持ち寄り、販売して、帰りは塩や海産物を仕入れていきました。こうして笠井の市は、近隣の商人が集まるようになり繁栄していきました。
1754

宝暦4年

令和3年に発見された、福来寺七世大圓和尚の墓に刻あり{宝暦4年甲戌正月15日四十八歳示寂}五・十の市で笠井市は栄えていた。
1862文久2年遠江西三十三處巡礼記:二十四番札所に観光山・福来寺が認定される。
遠江西三十三處観音霊場。御詠歌 「天ヶ(あまが)(した) たずねまいれば 遠江(とおとうみ) 笠井(かさい)の里(さと)に 深(ふか)きめぐみを」
1890明治23年12月10日 福来寺観音堂移築 寄付者100名 寄付金520円50銭 寄付単石碑有り。
1891明治24年初市(1月10日)に旅商人(伝ェ門さ)が藤枝達磨を笠井の市で売る。(だるま市の始まり)    
だるま市では、古い達磨を買い替えて、毎年少しずつ大きな達磨にして、達磨の左目に黒目を入れて祈祷してもらうのが、だるま市のしきたりとされ、福来寺では笠井の観音様に祈祷して、その法力によって心眼を入れています。
1911明治44年4月 住職以外拝顔できなかった秘仏{笠井観音}の御開帳をおこなう。 
福来寺は檀信徒がありません。昔から笠井の商人と徳人の寄付金で運営されてきました。
寄付者101名。寄付金883円50銭、寄付単の石碑が現在残っています。
1944昭和19年12月9日、東南海地震で観音堂は西側に大きな被害がありました。(現在はコンクリートの壁)しかし、戦争中で寄付金は集まらず。20年ほど放置されたままでした。福来寺の隣保25軒が、奉賛会を組織して、寄付金を集い、寄付金の謝礼に金達磨を進呈して浄財を集めることにしました。その浄財で観音堂を修理していったのです。昭和39年発行の謄写版印刷金達磨ハガキが発見されています。
1949昭和24年 上町商店会(ニコニコ会)は、だるま市に福来寺境内に、サーカス小屋、見世物小屋を呼んで、大勢の見物客を集めました。福来寺境内は,参詣者と見物客でごった返しました。見世物は昭和32年の地球儀のオートバイ曲芸が最後となりました。
1992平成4年だるま市の応援団として「慈光会」が結成されました。笠井周辺の徳人に、年会費3000円で100名会員になっていただき年30万円の予算で達磨市の幟、種銭発行、納め達磨の回収、朱印帳、甘酒の無料提供などを行い、だるま市を盛り上げていきました。
1994平成6年6月10日、明治以来83年ぶりに笠井観音の御開帳を106件・194万円の寄付金をいただき実施しました。厳粛な一日でした。
2008
平成20年奉賛会と慈光会が合併して、「笠井だるま市保存会」が結成されました。
福来寺住職と保存会役員が達磨市の企画・運営を行っています。
平成の大改修を毎年予算の範囲で行なった。正面階段、だるま会館を展示場に改修。
児童公園トイレ。樹木の伐採、古井戸の息抜き、鳩駆除と天井除去、観音堂内の仏具新設。
2009
平成21年笠井の観音様(聖観世音菩薩)を解体修理しました。
修理した肩から発見された釘が江戸時代のものと判明した。額に水晶、金銀の宝冠も美しく直されました。
その後は、毎年だるま市に扉を開いております。
2020~2022
令和2年〜4年令和の大改修を実施、観音堂扉取り換えして三密を防止。南階段新設。寄付単の石碑の移動、水屋解体、
歴代住職墓建立、参道を建設、樹木伐採等。令和4年に現在の環境が完成。
2025
令和7年だるま市は一月第二日曜日に実施が移行、その遠州名物笠井だる市は134年目になりました。笠井の市が始まってから376年。往時は。織物の町、笠井として、そして糸瓜産業で栄えた笠井。笠井往還には3間半間口の商店が連なり商人の町として栄えました。東の豊西地域は、天竜川の肥沃な土壌に恵まれて、村の神社に五穀豊穣を祈願。自然の風景が美しい。笠井本通りは80軒余あった商店は消えて、住宅が建ち新しい景色に変わっています。

観光山 福來寺(ふくらいじ)
静岡県浜松市東区笠井町252番地 053-434-073寺
浄土宗
御本尊:聖観世音菩薩
御利益:五穀豊穣、家内安全、厄除け祈願

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